女好きの義父に“洗脳”され…不倫にハマったアラフィフ男 待ち受けていた衝撃の真実

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 2020年代になっても、「嫁姑問題」はなくならない。今は「義実家、義父母」というのが定番だが、呼称は変わっても人の諍いの中身はそうは変わらないものだ。

 妻と夫の母親はうまくいかなくて当然だと思っていたほうがよさそうだ。一方、夫と妻の父親というのは、おしなべてそう問題がなさそうに見えるが、環境によっては夫に大きなストレスがかかることもある。【亀山早苗/フリーライター】

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「こういう言い方をするのもよくないとわかってはいるんですが、僕の人生は妻の父親によって、僕が目指していたところとはまったく違う方向に進んでいるような気がします。最近では、『ここを飛び出したほうがいいんじゃないか』と思えてならない」

 中肉中背、「どこといって取り柄のない薄い顔」だと本人は言うが、めがねをかけたその姿はインテリの研究者といった風情。実際、ひとり静かにクラシック音楽を聴いたり読書をしたりするのが好きだという。それが富本邦和さん(44歳・仮名=以下同)だ。

 新卒で入った会社の取引先企業の社長に気に入られ、その娘である葉子さんと結婚したのは29歳のとき。葉子さんは26歳だった。

「僕の何を社長が気に入ったのかわからないんです。ただ、なぜかよく飲みに誘ってくれた。おもしろい人だなとは思っていました。あるとき飲みに行った帰りに家に連れていかれ、そこでふたり姉妹の長女である葉子に紹介されました。楚々とした美女でしたね。今どき、こんな人がいるんだと思ったくらい」

 しばらくすると、今度は家に遊びに来いと言われた。上司に相談すると「行け」と言う。葉子さんに会いたい気持ちもあって、手土産を片手に訪問した。

「下にも置かぬもてなしというんでしょうか、家族そろって歓迎してくれました。昼食をごちそうになると、葉子が『私の部屋を見ます?』と。広い家でしたね。僕は下町の生まれで、長屋みたいなところで育っていますから、洋館のような邸宅に驚きました」

 二階の葉子さんの部屋にはアップライトピアノが置かれていた。階下のリビングにはグランドピアノがあったはず。「あれ」と言うと気づいたのか、葉子さんが笑った。

「ここで練習して下で披露するんですよ。妹はバイオリンをやっているので、ときどきふたりで演奏会みたいなことをして遊んでいます」

 別世界だなあと心の中でつぶやいた。ピアノを聞いたり世間話をしたりしているうちに階下から呼ばれた。

「葉子の父である社長に、『素敵なお宅ですね』と言ったら、彼はがははと笑いました。『これは妻の父親が建てた家。オレにそんな才覚がないのはきみも知ってるだろう』って。なかなかにやり手の社長なんです。それはわかっているから、『社長ほどの方が何をおっしゃるやら』みたいなおべんちゃらを繰り出し、そろそろお暇をと腰を浮かしかけたとき、社長が口火を切ったんです。『うちの会社に来ないか。そしてオレの跡を継いでくれないかな。つまり葉子と一緒になってくれればいいんだ』と。いきなりいくつもの案件が入った仕事を言いつけられたような感じで、言葉が入ってこなかった。葉子を見ると、少しうつむきながら恥ずかしがっている。あんな仕草をする女性がいるということにも驚きました。社長と奥さんはうれしそうに微笑んでいるし」

いきなり「営業次長」に

 葉子がきみに一目惚れらしい、と社長は言った。かなり前に、たまたま父親の会社に行ったとき、打ち合わせに来ていた邦和さんを見て心ときめかせていたようだ。その後、社長は邦和さんのことを調べた。当時は若かったが、会社でも誠実に仕事をしていること、先輩や後輩からも好かれていることなどを把握していると聞かされた。

「返事は急がない。今の会社よりうちのほうが規模は小さいし、どうしても来てくれとは言いづらい。きみが将来をどう考えているのかも聞かせてほしい。社長はそう言いました。ともかく今日はゆっくりしていってほしいと言われて、夕方帰ってきた妹さんも一緒に夕食をとったのを覚えています」

 社長宅を辞するとき、葉子さんが駅まで散歩がてら送っていくと言い出した。道々、「父が無理を言い出してごめんなさい。もしもその気があったら、可能性があったら考えてほしいんです」と葉子さんはおっとりと、だがはっきり自分の意志を告げた。

「お嬢さんだけどしっかりしてるとは思いました。ただ、駅まで送ってもらってそのままひとりで帰すわけにはいかない。今度は僕が送っていくと言って、今来た道をまたふたりで歩いて。彼女が笑いながら『50年後もこんなふうにあなたと歩けたら、私の人生は大成功ってことになる』と言ったんです。僕みたいな冴えない男にどうしてそんな思いを寄せてくれるのかわからなかったけど、素直にうれしかった」

 結局、駅と葉子さんの自宅を2往復したあと、葉子さんに物陰に引っ張り込まれてキスを交わしたと邦和さんは言った。

 それから1年後、邦和さんと葉子さんは結婚した。新卒で入社してからがんばってきた会社に辞表を提出するときは少し寂しかったという。だが葉子さんの父親の会社に入ると、いきなり「営業次長」の肩書きがついてきた。

「仕事ができなければ葉子が悲しむ。義父にも迷惑をかける。そう思って、結婚してから1年間は死に物狂いで働きました。義両親と同居ではなかったし、婿養子に入ったわけではなかったけど、かえってそれもプレッシャーになっていましたね。自分が“お試し期間”にいるのかな、と。本気で迎え入れる気なら、同居してほしい、婿養子になってほしいと言うのではないか……。だから怖くてとにかく仕事をしていました」

 誰よりも早く会社に行き、誰よりも遅く退社。家にまで仕事を持ち帰った。そんな彼を葉子さんは繊細に気遣ってくれた。

「31歳のとき長男が、3年後に長女が生まれました。そして初めて、葉子が実家に引っ越そうかと言い出したんです。あの洋館のような素敵な家は1年かけてリフォームし、立派な二世帯住宅になっていました。僕は3年以上、葉子の実家には足を運んでいなかったんです。社長とは会社で会うし、義母はときどき僕らの自宅に来ていましたから、家に行く必要もなかったんです。それに気づかないほど僕は仕事に忙殺されていた」

 当時は、仕事中心の生活だし、どこに住んでもかまわないと思っていた。むしろ葉子さんが安心できるから実家に住んだほうがいいとも感じていたと邦和さんは言う。

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