誰が大統領になっても韓国は「内紛の時代」へ 「レミング」が生む李朝への先祖返り

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議院内閣制で党争は解消?

――「現代の党争」を解決しようとの声は韓国で起きないのですか?

鈴置:その処方箋は論議されつくされた感があります。メディアに登場するほぼすべての識者が、大統領権限を弱めるべきだと主張します。大統領が権力を独占するためにやりたい放題になって野党との間で激しい争いが起きる、との認識からです。

 具体案としては議院内閣制に変えたうえ「大統領は象徴的存在である」ドイツ型か、「大統領は外交に専念する」フランス型が提唱されることが多い。

 ただ、議院内閣制に変えて激しい内部対立が収まるかは疑問です。張勉内閣は大韓民国の憲政史上、唯一の議院内閣制による政権でした。李承晩政権が大統領制の下、強権を振るった反省から議院内閣制に切り替えたのです。

 しかし、張勉政権下でも党争は収まらなかった。与党に回った民主党が李承晩系の政治家に報復したうえ、張勉首相と対立した尹潽善(ユン・ボソン)大統領が党を割って新党を結成するなど、民主党の内部抗争も激化、政界は混乱を極めたのです。

 この先例からすれば、大統領権限を弱めればいいとか、議院内閣制にすればいいといった制度の問題ではないことが分かります。「対立しても、どこかで妥協する」という政治風土が韓国に存在しないことが原因と見た方が自然です。

 先に引用したように、朴正煕大統領も「妥協と寛容を知らぬ苛烈な闘争史は、後代における議会民主々義と政党政治の可能性をそこない……」と、李朝に淵源を持つ韓国の宿痾(しゅくあ)を喝破した。ただ、その朴正煕政権も次第に「妥協と寛容さ」を失い、反対派への拷問を駆使する独裁に至ったのです。

妥協なき韓国に平和なし

 大正10年(1921年)、自由討究社という日本の出版社が『朋党士禍の検討 九雲夢』という李朝の党争を解き明かした冊子を出版しました。1919年、日本からの独立を図る三・一運動が起きた。驚く日本人に朝鮮事情を紹介しようと企画された「通俗朝鮮文庫」の一冊です。

 この冊子は序文で、東人、西人など派閥間の党争は単なる権力闘争ではなく、一族の餓死を避けるための経済闘争だったと説きました。農業以外に産業の無かった李朝では、官職を失えば収入の途が途絶えたのです。

 相手の一族から友人まで絶滅する党争の激しさは群集心理に特有の自己催眠から来た、と分析しました。それを説明するために、ギュスターヴ・ル・ボンの古典『群集心理』まで引用しています。

――なぜ、当時の日本人は「党争」に焦点を当てたのでしょうか。

鈴置:日本でも明治維新という内戦が収まったばかり。同じ頃、米国も同国史上最大の死者を出す南北戦争を経験しました。内部分裂はどの国にもあるのです。なぜ、韓国の党争に異質さを見出したか――。この冊子の序文に答があります。

・かつて東人たりしものは、子々孫々まで東人の党籍を守り、西人も、南人も、北人も皆斯の如く、伝統数百年、かつて渝[かわ]らざる所以は……。(1ページ)

 李朝の党争の異様さは、子々孫々まで数百年にわたって続いた――いつまでたっても妥協がなされないことにあると見たのです。そして、この序文は朝鮮の宿痾を理解せず、彼らを変え得るとの前提で統治を進めることは「無意味と云はうより、寧ろ害毒の一方」と日本人に訴えています。

鈴置高史(すずおき・たかぶみ)
韓国観察者。1954年(昭和29年)愛知県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。日本経済新聞社でソウル、香港特派員、経済解説部長などを歴任。95〜96年にハーバード大学国際問題研究所で研究員、2006年にイースト・ウエスト・センター(ハワイ)でジェファーソン・プログラム・フェローを務める。18年3月に退社。著書に『米韓同盟消滅』(新潮新書)、近未来小説『朝鮮半島201Z年』(日本経済新聞出版社)など。2002年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。

デイリー新潮編集部

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