あさま山荘事件から50年 事件の舞台になった保養所に行ってみると…現在の所有者の外れた思惑

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 今年2月、「あさま山荘事件」から50年を迎える。当時まだ生まれていなかったという人も、そのニュース映像を見たことはあるだろう。犯人が立て籠もった山の斜面に建てられた山荘。土嚢を積んで銃撃から身を守る警官隊。建物の壁を破壊する巨大な鉄球……。事件の一部始終は生中継され、多くの国民がテレビに釘付けになった。そんな歴史的事件の舞台となった山荘が、50年経った今も現存しているのをご存知だろうか。

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 1972年2月19日、長野県・軽井沢町にある河合楽器の保養所「浅間山荘」に新左翼組織・連合赤軍のメンバー5人が、管理人の妻を人質に立て籠もった。警視庁と長野県警を中心とした警官隊が山荘を包囲するも、犯人は猟銃などを所持していたため銃撃戦に。籠城10日目の28日に人質は無事救出され、犯人も全員逮捕されたが、死者3名、重軽傷者27名を出した。

 極寒の山中で繰り広げられた警察と犯人の攻防はテレビで生中継され、事件が解決した28日、NHKと全民放を合わせた総世帯の最高視聴率は89・7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録。まさに全国民が固唾を呑んで見守った事件だった。

 その後、明らかになった「山岳ベース事件」は、さらに衝撃的だった。犯人たちは浅間山荘に立て籠もる前、群馬県の山中に設置したアジト(山岳ベース)で同志12名に「総括」と称したリンチを加え、虐殺していたのだ。

 そんな忌まわしい事件の象徴ともいえる山荘が、50年が経った今も現存していると聞いて、訝しく思った方もいるだろう。事件後、そこに移り住んだり、施設として利用することを、誰もが躊躇してしまうに違いないからだ。

なぜ、こんな場所に?

 その場所はGoogleマップでも確認することができる。1月下旬、「浅間山荘跡」と表示されるその場所を目的地に、車を走らせた。

 上信越自動車道を碓氷軽井沢インターチェンジで降りると、目的地までは約10分と表示された。ナビの指示どおり車を走らせ、幹線道路から林道に入る。勾配のきつい曲がりくねった道を進むが、なかなか目的地に到着しない。というのも、途中まで車を走らせると、ナビが示す順路が変わってしまうからだ。結局30分ほど迷った末、目的地まで数百メートルほどの林道に車を停め、徒歩で浅間山荘を目指すことにした。

 あとでわかったことだが、浅間山荘は「レイクニュータウン」という広大な管理別荘地の中にある。どうやらGoogleマップは、別荘地内の道路までは案内してくれないようだ。

 浅間山荘が建つ南軽井沢は、「避暑地・軽井沢」と聞いて誰もが思い浮かべる風景とは趣が異なる。周囲はゴルフ場と山林で、その中にいくつかの管理別荘地があり、急な斜面にへばりつくようにして別荘が建てられている。正直、「わざわざこんなところに建てなくても、もっと平らな場所はあるだろうに」と思わずにはいられない。

 凍結した山道をしばらく登ると、道端に「祷」と記された小さな慰霊碑が置かれていた。建立者の名前は見当たらない。ここから数キロ離れた別荘地の入り口には、浅間山荘事件顕彰慰霊碑「治安の礎」が置かれている。これは事件の翌年に警察関係者によって建てられたもので、かなり立派だ。石碑には事件の経緯や浅間山荘での攻防の様子を描いたレリーフが彫り込まれている。

 それと比べると明らかに見劣りがする路傍の小さな慰霊碑の先に、ニュース映像では何度も目にした、あの特徴的な作りの建物が忽然と現れた。元「浅間山荘」だ。

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