あさま山荘事件から50年 事件の舞台になった保養所に行ってみると…現在の所有者の外れた思惑

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“保存状態”は良好

 浅間山荘は1969(昭和44)年に河合楽器健康保険組合によって建てられた。不動産登記を見ると、当時は「鉄筋コンクリート鉄骨造・3階建」だったが、事件後の1973(昭和48)年に「4階建」に増築されている。

 1階が40平米、2階が79平米、3階が142平米、4階が172平米。山の斜面に建てられたため、階が上がるにしたがって床面積が広くなるという逆ピラミッド型の風変わりな構造だ。増築されたのは1階で、出入口は3階、事件の際に鉄球で破壊されたのは4階の外壁となる。

 実際に建物を目の前にすると、感じることはいろいろある。

 まず思うのは、先にも触れたように、よくこんな急勾配に、こんな大きな別荘を建てたものだという驚きだ。周囲の別荘の中でも殊更に大きい。樹木に隠れているので目立ちはしないが、鉄筋コンクリート4階建・延床面積433平米(いずれも増築後)。そんな建物が、しかも山林の中に建っているのだ。

 警察の装甲車や鉄球を吊ったクレーン車も、よくこんな狭くて急な山道を登ってきたものだ。しかも当時の事件映像を見ると、温暖化と言われる近年とは違い、積雪も結構ある。

 事件から50年が経った凶悪犯罪の現場という先入観もあり、山荘は廃墟に近い状態で現存しているのかと想像したが、思ったほど状態は悪くない。外壁の経年劣化や室内の障子の破れなどは窺えたが、管理別荘地にあるためか今でも十分に住めそうだ。

 ただし、補修や増改築がほどこされているとはいえ、ここで冬場を過ごすのは大変そうだ。浅間山荘があるニューレイクタウンに移り住んで30年という女性の話では――

「ここは雪は多くないけど、冬場は氷点下10度とか15度なんて日はざら。築年数が古い家は、断熱材を入れるとか改築しないと冬は暮らせないと思いますよ」

 再び不動産登記を見ると、所有者は1989(平成元)年に河合楽器から東京都武蔵野市在住の個人に、2008年(平成20)年からは東京都新宿区の中国系法人に移っている。

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