元公安警察官は見た シベリア抑留の日本人38名をスパイにしたソ連外交官の変節

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アメリカ市民権

 ラストボロフは、米軍の軍用機で東京から沖縄の米軍基地へ。その後グアムの米軍基地に移された。

「彼はアメリカに亡命した後、シベリア抑留者をスパイにして諜報活動を行っていたことを供述しました。これが西側のマスコミに伝わり、大々的に報道されました」

 1954年8月14付朝日新聞が「ラストボロフ事件の真相」という見出しの記事を報じると、スパイの1人、元関東軍航空参謀少佐の志位正二が自首した。

「同じ日、外務省欧米局の日暮信則、同省国際協力局の庄司宏が国家公務員法100条(秘密を守る義務)違反容疑で逮捕されています。19日には、外務省経済局の高毛礼茂が同容疑で逮捕されました。日暮は取り調べ中、4階の窓から飛び降りて自殺しています。スパイに外務省の職員が多かったのは、マル秘扱いの電報が読めるし、普段から大使や外交官に接触していたからでしょう」

 同年、ソ連の軍事裁判所は、ラストボロフに死刑を言い渡した。

「ラストボロフはアメリカに亡命後、CIAの顧問として働いています。メリー・ジョーンズと結婚し、2女をもうけますが、その後離婚しました。1959年にはアメリカ市民権を取得。CIAのアレン・ダレス長官から感謝状を贈られています。年金も取得し、晩年は悠々自適に暮らしたそうです」

勝丸円覚
1990年代半ばに警視庁に入庁。2000年代初めに公安に配属されてから公安・外事畑を歩む。数年間外国の日本大使館にも勤務した経験を持ち数年前に退職。現在はセキュリティコンサルタントとして国内外で活躍中。「元公安警察 勝丸事務所のHP」https://katsumaru-office.tokyo/

デイリー新潮編集部

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