イニエスタの銅像はNG!なのに、街中で“丸出し”の銅像はなぜOK? みうらじゅん氏の語る「ヌー銅の奥深き世界」

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 サッカーJ1のヴィッセル神戸が、クラウドファンディングを募り、主将イニエスタの銅像を建てようとした。しかし来日して4年弱の現役選手の銅像建立については賛否両論が飛び交い、計画は突如延期に。サッカースタジアムとはいえ、公的な意味合いが強い場に銅像を建てるとなれば、多くの人の目に触れることだから、多様な意見を考慮せねばならないということだろうか。

 日本で銅像といえば、上野の西郷隆盛像やかつて多くの小学校に建っていた二宮金次郎像など、歴史上の偉人をたたえるものや、長崎の平和祈念像など、歴史的出来事を記憶するためのものなどが一般的だ。これらは比較的多くの人が、そこに建つことに納得しているだろう。

公共の場のあられもない姿の銅像

 しかし、じつは日本には、一見何のために建てられたのかさっぱりわからない銅像が公共の場に数多く存在する。駅前の広場や公園、役所といった場所で、不思議なポーズをとるあられもない姿の人物の銅像がその一例だ。大体「夢」「友情」等々、ざっくりしたタイトルがついていて、青空の下に一糸まとわぬ姿をさらしている。じろじろと直視することもはばかられるし、なんとなく見過ごされてきたこれらの銅像を「ヌー銅」と命名したのは、「マイブーム」「ゆるキャラ」などの名付け親として知られるみうらじゅん氏。辛酸なめ子氏との対談集『ヌー道 nude じゅんとなめ子のハダカ芸術入門』の中で、その違和感についてこう語っている(以下引用は同書より・一部表記変更しています)。

「こうした銅像が公園や、市役所前などに立っている光景を不思議に思った時期がある(中略)その場所がどう考えてもヌー銅にふさわしくないからだ。これがもし、生身の姿であればその違和感はハンパない。きっと誰かが警察に通報するだろう」

 改めて意識してみると確かに違和感しかない、公共の場のあられもない姿の銅像。一体どうしてこんなにたくさん建てられたのだろうか? 辛酸氏によれば、もともと「ヌー銅」は、戦後軍人の銅像を撤去して、その跡に自由や平和の象徴として建てられたものが多いのだという。

 みうら氏はある時期からその違和感にとりつかれ、全国を行脚し、「ヌー銅」を5千枚におよぶ写真に収めていった。多くが、高度成長期からバブル期にかけて「浮かれ気分で」建てちゃったもののようだ。同書に収録されている、みうら氏が発見した「ヌー銅」をご本人の解説も交えながらいくつか見てみよう。

「自由の群像」菊池一雄作(東京・千鳥ヶ淵)

 おそらくほとんどの国民が地元のどこかでヌー銅を見たことがあるだろう。

「実際、銅像作家の人に聞いてみたんですが、バブルの頃までは発注がよくあったそうです(中略)地方の活性化を目的に、東京の人が売りに来たっていう噂もあります。あなたの村もアート化しませんかって」(みうら氏)

 しかし、時代が平成に変わり、バブルが崩壊すると、少なくとも丸出しのヌー銅の新設は減っていったようだ。たとえばある区役所前に立つ女性像は、上半身は裸でも下はジーパンを穿いている。そして令和のいまとなっては、コストもかかるし、ジェンダー問題の視点などからもツッコミどころの多い「ヌー銅」を公共の場に建てることはほとんどなくなってしまったようだ。

 戦後建てられた「ヌー銅」はこれからも、日本各地に立ち続けるのだろう。イニエスタの銅像の行く末はわからないが。

デイリー新潮編集部