東京藝大生が「あいつは天才」と噂 “口笛”で藝大合格した奇才
累計40万部を突破したノンフィクション『最後の秘境 東京藝大―天才たちのカオスな日常―』(二宮敦人・著)は、社会現象にもなった前人未到、抱腹絶倒の探検記。そこには天才から天才と呼ばれる人間が存在する。たとえば口笛の世界チャンピオン、青柳呂武がそうだ。藝大に口笛で入った男、青柳の絶技を文字で堪能してほしい。あるいは、設計図を自作し1000以上の部品を手作りして絡繰り人形を制作する佐野圭亮。「現代の田中久重(江戸時代から明治にかけて活躍した発明家で「東洋のエジソン」と呼ばれた)」と称される佐野の専攻は、絡繰り人形とは関係ない「漆芸」だ。『最後の秘境 東京藝大』から才能と情熱があふれ出す第4章「天才たちの頭の中」を全文公開する。
口笛世界チャンピオン
藝大生はみんな、僕には天才に見える。しかし、そんな藝大生をして「あいつは天才だ」と言わしめる藝大生も存在する。
音楽環境創造科の青柳呂武さんも、その一人だ。
「僕は、口笛をクラシック音楽に取り入れたいんです」
太い眉(まゆ)を柔らかく曲げて笑い、青柳さんはそう言った。
青柳さんは、二○一四年の「国際口笛大会」成人男性部門のグランドチャンピオン。名実ともに口笛界の頂点だ。そしておそらくは最初で最後の「藝大に口笛で入った男」になるだろうと言われている。
「二次試験の『自己表現』で、ヴィットーリオ・モンティ作曲の『チャルダッシュ』を口笛で吹きました。そして、口笛を他の楽器と対等に扱えるようにしたい、と言ったんです」
『チャルダッシュ』という曲は前半はゆっくりのびやかなのだが、後半には小刻みで非常に速いリズムがやってくる。この速いパート、どれくらい速いかと言うと……早口言葉の「生麦生米生卵」が人生で一番スムーズに言えた時を思い出してみてほしい。たぶん、その二倍は確実に速いと思う。早口言葉だって舌を噛(か)むのに、口笛で吹くなんて……。
「いやあ……練習すれば、できるようになりますよ」
「どれくらい練習されてるんですか?」
「日によって違いますけど、三、四時間くらいです。でも、遊びながら練習する感じですね。お風呂で吹いたりとか。楽しんで続ければ、上達しますよ」
「口笛のうまいとかへたとかって、どういうところで決まってくるんでしょう」
「一つの基準としては、多くの奏法をマスターすることでしょうか。口笛にはいろいろな奏法があるんです。ウォーブリングとか、リッピングとか……。例えば『下唇系舌ウォーブリング』という奏法では、吹きながら舌を下唇の内側につけたり離したりすることで、息を止めずに高速で音を切り替えることができるんです」
こんな感じですね、と青柳さんはさっと口をすぼめて吹いてみせる。ピロピロピロ……僕はまばたきもせずに見つめていたのだが、何がどうなっているのかさっぱりわからなかった。
他にも上あごを使ったり、喉(のど)を使ったり、唇を使ったり、お腹(なか)を使ったり、場合によっては口を手で塞(ふさ)いだりなど、息の流れるあらゆる部分を操作することで、多彩な表現ができるという。複数の奏法をマスターできる人物はほんの一握りだそうだ。
「奏法を複数習得すると、ぐっと世界が広がるんですよ。ウォーブリング一つだけだと、二つの音しか出せません。でも、それに別の技を組み合わせるんです。そうすると、素早くたくさんの音に切り替えられます。音階を作れるんです」
「奥が深いんですね」
「深いですねー。まだまだ発展途上な世界ですから。これまでにない奏法を、自分でも発明していく必要があります。あるいは、組み合わせるのが不可能だと言われている二つの奏法を、何とかして組み合わせられないか考えたり。口の仕組みを勉強したり、音色を音楽的に研究したり。口笛界ではみんな、いろんな研究をしています。僕、今では口笛界の先導者みたいに扱われてるんで、どんどん新しい目標を作っていかないといけないんです……」
青柳さんは頭をかいて笑った。
「その目標の一つが、クラシック音楽に口笛を取り入れることなんですね」
「はい。びっくり芸ではなく、音楽として純粋に楽しめるようにしたいんです。オーケストラや室内楽に『口笛』というパートを作りたいんですよ」
オーケストラに口笛を
「口笛って、楽器がいらないのが大きな利点だと思うんです。いつでもどこでも吹けるし、両手もあいてますよね。何か他のことをしながら吹けます」
青柳さんの言うとおりだ。両手が空く楽器は珍しい。
「それから口笛は息を吸っても音が出せるんです。つまり、息継ぎがいらない」
「あ! それは曲の可能性が広がりますね」
「そうなんです。まだありますよ。口笛はグリッサンドができるんです。音を自由に上下できるんですよ」
グリッサンドとは、音程を区切らず、滑らかに音高(おんこう)を上下させる奏法。例えばピアノなら、鍵盤をざあっと手で滑らせるようにして弾くことができるが、これをグリッサンド奏法という。しかし、ピアノでは鍵盤と鍵盤の間の音は出せない。
「滑らかなグリッサンドができるのは、弦楽器的な特徴なんです。でも、口笛は弦楽器かというと違う。人間の体という管を使って、音を響かせるので管楽器的でもありますよね。もっといえば声楽にも似ています。口笛はいろんな特徴と、可能性を秘めているんです」
弦楽器、管楽器、声楽のいいとこどり。そう言われてみると、どうしてこれまで口笛がオーケストラになかったのか不思議に思えてきてしまう。
「ただ、欠点もあります。一番は音の小ささですね。他の楽器と一緒に演奏すると、聞こえなくなっちゃうんです。マイクで音を拾ったり、あとは音の響きやすい演奏場所を選ぶことで、ある程度解消できますが」
なるほど、音響技術の発展が必要だったのだ。
「それから、手で鍵盤を操作するわけではないので、音に関しては完全に自分の感覚が頼りになります。だから音感を鍛えないと。口を器用に動かす訓練も必要ですね。あと、基本的に倍音が出ません」
「倍音って何ですか?」
「ええと……音楽用語なんですが」
青柳さんはスマートフォンを取りだしながら、ゆっくりと説明を始めた。
「ピアノの『ド』を弾くと、『ド』が鳴りますよね。この時、もちろん人間の耳には『ド』が聞こえているんですが……実は一オクターブ高い『ド』も同時に鳴っているんです。これが倍音です。一オクターブ高い『ド』は周波数が二倍になっているので、そう呼びます。ある音を弾くと、その周波数の二倍の音、三倍の音、四倍の音……そんなふうにいろんな周波数の音が一緒に鳴るんですよ」
この「倍音」の現れ方は、楽器によって異なるらしい。そしてその違いこそが、楽器特有の音色を生んでいるそうだ。その倍音が出せないということは……。
「これ、機械的に作った、倍音なしの音です」
スマートフォンのアプリをいじる青柳さん。
ポー。
あ。これは聞き覚えがある。聴力検査で、ヘッドホンから聞こえてくる電子音だ。
「こういうブザーみたいな音です。凄く味気ない音なんですよね。サイン波って言うんですけど。口笛はどうしてもこういう音になっちゃうんです。単調で、高音寄りで……聞き手としては長時間聴きづらいんですよ」
「倍音が出せないのは、どれくらい大きな欠点なんですか?」
「うーん……教授には、楽器として致命傷だよ、と言われちゃいましたけど……」
青柳さんはアプリを終了させてから、僕の方を見た。
「でも、どんな楽器にも長所と短所がありますから。逆に利用してみたいですね」
「なるほど、楽しみですね」
「受話器を取った時のプーって音や、信号機の『ピヨピヨ』って音もみんな倍音のないサイン波なんですよね。口笛でそっくりな音が出せます。だから、僕はたまに信号待ちをしながら『ピヨ』を口笛で一個増やしてみたり」
青柳さんは歯を見せて笑った。
真剣だけど遊び感覚
「僕は、兄二人がヴァイオリン教室に行ってまして。一緒について行ってたんですけど、兄たちがよく曲を口笛で吹いてたんですよ。それを僕も真似(まね)するようになって、三人で口笛でハモったりしてたのが始まりですね。でも、あくまで遊びでした」
やがて青柳さんもヴァイオリン教室に通うようになった。青柳さんは他にもピアノ、ホルン、オーボエなどができるそうだ。
「中学でみんなから『口笛うまいね』って言われるようになりました。高校の頃は、僕が吹き出すとみんな吹くのをやめて、聴いてしまうんですよね。僕は一緒に吹きたかったのに……」
「その頃から藝大に入って、口笛を楽器にしようと思ってらしたんですか?」
「ええと、高校一年生くらいから世界大会を目指して本格的に練習を始めました。高校三年生になって進路に悩んでいたら、親が『口笛をもっと極めてみたら』と藝大を勧めてくれたんです。音楽環境創造科という学科なら、そういうことができそうだよと」
「え? じゃあ……」
「はい。最初から口笛で藝大を考えていたわけじゃないんです。むしろ、先生になろうと。だから私大の教育学部も受けました。藝大に落ちたら、普通の大学生でいいと思ってましたね」
青柳さんが、大柄な体を揺らして笑った。
「でも、結果として藝大に入れちゃったんで。とりあえず、ここにいる間は本気で口笛やってみようと思ってます。世界大会も優勝しちゃいましたしね。ただ、この先口笛で食べていけるか、というとやはり難しいと思うんです。積極的にチャレンジする気はないですね」
おや、と僕は思った。
青柳さん、随分ふわっとしているぞ。
「僕の兄二人も、普通の会社員として働いています。音楽は好きでしたけど『プロとしてやっていくほどの実力はない』と。僕も教職の免許を取って、ちゃんと他で仕事をして……口笛は副業にするのが現実的かなと」
意地でもプロ奏者、あるいはアーティストを目指す。そんな人が藝大には多いのに。
「僕、やっぱり今でも遊び感覚でやっている部分があるんですよ。音楽が好きなんで、楽しんでやってます。なので正直、嫌いな曲は聴きたくないし、知らないままでもいいやって思っちゃってるところがあります。こういうのは、他の音校の人が聞いたら信じられないって言われるかもしれませんが……」
口笛は遊び。
でも、口笛をクラシックに取り入れる方法を真剣に研究している。
何だか青柳さんの言葉を消化しきれなかったような感覚が、僕の中に残った。
現代の「田中久重(ひさしげ)」
「あいつは『現代の田中久重』ですよ。もう、後にも先にも、あんな奴(やつ)は入って来ないと思いますよ」
工芸科鍛金(たんきん)専攻の山田高央(たかお)さんはそう言い、
「佐野君は天才です。天才」
工芸科鋳(ちゅうきん)金(ちゅうきん)専攻の城山みなみさんも、そうつけ加える。
田中久重は江戸後期の発明家で、「文字書き人形」を始めとする数々の絡繰(からく)り人形を作ったことで知られている。人呼んで「東洋のエジソン」。
「どうも、初めまして。佐野です」
目の前に現れたのは、小柄で物静かな青年だった。佐野圭亮(けいすけ)さんは右手で大切そうに工具箱を持ち、左手を茶色のコートのポケットに入れて、ぺこりと頭を下げた。
佐野さんもまた、絡繰り人形を作っているという。
「中学のころ……ですね。絡繰り人形を見て衝撃を受けたんです。電気がない時代に、この動作を実現させたのは凄いと……仕組みを考えたりしているうちに、頭の中で何となく動かせるんじゃないか、というところまで来て。それを形にしてみたくなりました。木工を学校で先生に習っていたので……『文字書き人形』の真似をして、作ってみようと」
田中久重の最高傑作のひとつとされる、「文字書き人形」。
電力や回路なしに発条(ぜんまい)と歯車だけで動き、筆を持って墨をつけ、「寿」などの文字を半紙に書く人形だ。まるで人間のようなリアルな動きが特徴で、顔を動かして視線を変えながら筆を繰り、「止め」や「払い」まで器用に再現してしまう。
「久重の『文字書き人形』は、床に座ってるんですが……僕は立たせてみたんです。でも、思ったよりも難しくて。正直、やるんじゃなかったと思いました」
「立たせると、難しくなるんですか?」
「かなり難しくなります……座っている人形であれば、お尻(しり)や腰に機構を仕込めますよね。しかし直立していると、二本の細い足に……直径六センチの円柱二本に、機構を通さなくてはなりません。バランスもとりづらくなります」
「じゃあなぜ……」
「せっかくだから、ですかね……」
佐野さんは考え考え、言葉を継ぐ。とても丁寧に説明してくれるのだが、あまり話すのは得意ではない、といった様子だ。
「絡繰り人形は、図面から作るんですか? 久重の図面を参考にしつつ」
軽く頷く佐野さん。
「そもそも百五十年前の人形ですし、図面も一般公開されていません。僕にわかるのは、動きだけです。図面を作るだけで一年以上はかかりました」
「ええと、それは真似をして作ったというよりも……ゼロから作ってますよね」
「そうですね……動き以外はゼロからです」
「制作期間はどれくらいですか?」
「受験の前に作ったんで、三年くらいですね。人間の筆記の動作を上下、左右、前後の三つに分解して、それを独立した三枚のカムに記録、連動させて再現しているんです。カムの形状は手探りで、当初の想定通りにはいかず、作りながら考えて……六百回以上は試しました」
発条の回転運動を、様々な人形の動きに変換するための板状の部品をカムという。それを六百回も作り、試しながら、小さな人形の動きを調整し続けるなんて。この人の頭の中はどうなっているのだろう。
「一応は完成しましたが、正直満足のいく出来ではありませんでした。文字の完成度が久重の人形に比べてはるかに劣りますから。今作っている人形は、もっともっと人間らしい動きで、質の高いものにしたいです。誰かに見せた時に、大きな驚きが得られるようなものに」
佐野さんに、現在制作中の絡繰り人形の、実際の部品を見せてもらった。
木の板。細い棒。人形の顔や体を構成する、木製のパーツ。これらは木工の先生に習いながら作り方を習得したという。
だが、部品はそれだけではない。歯車。直径数センチのものからミリ単位のものまで、長短大小様々。そしてフレーム。カム。軸棒。ワイヤー。ネジ。ナット……。自動車の中身をぶちまけたような、大量の精巧な部品たち。
「これはまだ、ほんの一部ですが……」
「ずいぶんたくさんありますね。部品は全部でどれくらい、あるんですか」
「えっ、いくつでしょう……千は超えているとは思います」
「……それって、全部手作りですか?」
「そうです」
歯車は鉄板から、木のパーツは木から切りだして自分で作っているという。
「ど、どうやって作るんですか……」
「まずは歯車の本を買ってきて、勉強しました。正確な歯車の作り方がわかってからは、ひたすら作業ですね……方眼紙に図面を書いて設計するんですが、作りながら設計を変えたりもするので、そのたびに新しい部品も作ります」
方眼紙に歯が百個、直径三センチの歯車を「書く」だけでも気が遠くなるというのに、佐野さんは実際に「作る」のだ。何百個も。
「機械を使って作るんですよね」
「そうですね……部品によってやり方が違いますが、グラインダーとか……歯車を高速で回転させる機械とか、いろいろと使いますよ」
しきりに感心する僕の前で、佐野さんは淡々と説明する。
「でも、結局は手鋸(てのこ)と手鑿(てのみ)が一番正確です」
大きくて分厚い佐野さんの手は、マメだらけだった。
「機械ではなく?」
「そうですね。僕はいつも百分の一スケールのノギスを持ち歩いてます。そのせいか、つい何でもミリ寸法で会話しますね。一・五メートルであれば、千五百ミリって言っちゃうんです」
宇宙の果てから来た漆(うるし)
「佐野さんは、どうして藝大を目指したんですか?」
「漆が好きだったからです」
佐野さんは即答した。
「……それは、絡繰り人形とは関係なく?」
「そうですね。漆のお椀(わん)とか、独特な魅力があって……小さい頃から好きだったんです。最初から工芸科の漆芸(しつげい)専攻に入りたくて、受験しました」
佐野さんと同じく漆芸専攻に在籍する大崎風実(ふみ)さんも、漆の魅力にとりつかれた一人だ。喫茶店で向かい合った大崎さんは、可愛(かわい)らしくてお洒落(しゃれ)な女子大生。ただ、その手だけがちょっと荒れている。
「漆は、あの質感がいいですよね……宇宙の果てから生まれてきたみたいな。私、母が茶道をやってまして。そこで漆の茶器を見て、好きになったんです。黒い深みの中に、瑞々(みずみず)しい緑のお茶が詰まってて……綺麗(きれい)でした。でも実際に漆を扱ってみると、なかなか大変でした」
「どういった大変さがあるんですか?」
「工程がとても複雑なんですよね。漆を一度塗っただけじゃ、あのつやつやの質感は出ないんですよ。塗って、乾かして、また塗って……時には布や紙を載せて貼(は)り固めたり、そこにまた漆を塗ったりして、何度も重ねていきます」
日本画専攻の膠(にかわ)についても、そんな話を聞いた気がするぞ。
「乾かすのにも条件がありまして。漆って、室温が二十から二十五度、湿度が六十五パーセントから八十パーセントでないと固まらないんですよ。条件が合うように密閉した木箱で、漆風呂(うるしふろ)っていうんですけど、その中で固めます。冬なら丸一日くらい、梅雨時なら四時間くらいかかります。その間は作業できないので、同時進行で複数の作品を進めるんです」
「けっこうかかりますね。どれくらい、その工程を繰り返すんでしょう?」
「二十工程くらいかな」
二十というと……。
塗って乾かして塗って乾かして塗って乾かして塗って乾かして塗って乾かして塗って乾かして塗って乾かして塗って乾かして塗って乾かして塗って乾かす。これは相当の手間だ。
「実際は塗ると乾かすだけじゃなく、磨いたり、炭で研(と)いだり、貝を載せたり、いろいろあるんです。表面をどんな装飾、質感にするか、技法によって様々です」
「そういえば、螺鈿(らでん)でしたっけ、キラキラの貝でお花なんかが描かれた漆器がありますね。たとえばあれはどんなふうにやるんですか?」
「えっとですね、簡単に説明しますと……」
テーブルの上で作業の手つきを再現しながら、説明してくれる。
「板の上にまず漆を塗ります。その上に貝を、これはシート状になったものが売られてるんですが、模様の形に切り出して載せます」
ふむふむ。しかし模様の形に切りだすだけでも、かなり根気のいる作業である。
「その上に、さらに重ねて漆を塗ります」
「塗ります」
「すると、貝のシートが漆に覆(おお)われてしまいますね」
「はい……」
「それを、ヤスリで研ぎ出すんです。模様となっている貝の上の漆だけ、慎重に削って取り除くんです」
「あの細かい模様を!」
「はい。研ぎ出し終わったら、もう一度上に漆を塗ります。そしてまた研ぎ出します。これを何回か繰り返すことで、貝の厚みが漆器にきちんと吸収されて、段差がない綺麗な模様になるわけです」
螺鈿細工とは、こんなにも手間がかかるものだったのか。お値段が張るわけである。
「かぶれは友達」
「そういえば、漆はかぶれるんでしたよね?」
力強く頷く大崎さん。
「はい、それはもう、かぶれます! 漆芸専攻では『かぶれは友達』です。敏感な人は、漆芸の部屋に入るだけでも体に出ちゃうくらいで。注意しても完全には防げないし、もう仕方ないですね。慣れです。漆が手についたら、油で洗って落とすんですよ。それから洗剤で洗って、次にハンドソープで洗って、ハンドクリームを塗る。そういう対策も覚えました。とにかくみんなかぶれてますから」
「漆芸専攻の人、一発でわかっちゃいますね」
「そうですねー……工芸科って年に一回バレーボール大会をやるんですよ。そこでも、漆芸専攻がトスしたボールで、他の専攻の人がかぶれちゃったりしますから。教室でも、あんまり近くに座んないでって言われたりとか。迫害されてます」
大崎さんは苦笑してから、続けた。
「あと、漆は高いです」
「あれは樹液ですよね?」
「ウルシの木から取った樹液です。日本で一般的な『殺し掻(が)き法』という収穫方法では、十五年育てたウルシの木から、たった二百グラムの樹液しか取れません。それも、一度取ったらそれで木は死んでしまいます。生漆(きうるし)という一番シンプルな、木から取ったばかりのコーヒー牛乳みたいな色をした漆があるんですが……中国産の生漆が四百グラムで六千円くらい。日本産だと百グラムのチューブで一万二千円とかです」
「け、けっこうしますね。それも何度も塗るから、すぐなくなってしまいそう」
「はい。装飾の貝や、金も必要ですからね。これも高くて……」
大崎さんは頭を抱える。
「じゃあ、制作をするだけで随分お金がかかってしまうわけですか?」
「卒業制作の前に六十万くらいは貯金しとけ、って言われますからね。なので、頑張ってバイトしてます。あんまりお金がかかるから、取手キャンパスでウルシの木を栽培しようとした先輩もいるそうです。うまくいかなかったらしいですが」
漆はそんなに貴重品だったのか。近所のスーパーに百円の漆器が売っていたけれど、よく見たらウレタン塗装と書かれていた。本物の漆器なら安くても八千円はするそうだ。
「でも漆は面白い素材ですよ。私たち、とりあえず塗ってみます」
「とりあえずって?」
「とりあえず、そのへんのものに。紙コップに塗ったら、漆コップにならないかな、とか。先生が、みんなそういうところからやってみるよね、と言ってました。みんなやるみたいです」
「授業で技法を習いつつ、自分でいろいろ試してみるんですね」
「そうです。勝手に、自分で塗ってみます。まずはやってみないと。ちょっとしたアクセサリーを作るくらいだったら、そんなにハードルも高くないんですよ。東急ハンズで漆を買ってきて、百円ショップの筆でちょんちょんって塗るだけでも、立派な漆塗りですからね」
漆は応用のしがいがある素材だ、と大崎さんは言う。
「一人四役。塗料でも、絵の具でも、接着剤でも、造形素材でもありますから」
「造形素材にもなるんですか?」
造形素材とはつまり、粘土やゴムといった、材料そのもののことだ。
「はい、乾漆(かんしつ)造形と言って、漆で木の粉を固めて櫛(くし)を作ったりできるんです。可能性は無限ですよ!」
ふーむ、本当に不思議な素材だ。
なんと一度固まった漆は、酸でもアルカリでも温度変化でも、ほとんど劣化しないという。そのため、縄文時代の漆製品がほぼそのままの姿で出土したりするそうだ。使っていた人がとっくの昔に死んでいても、何千年も残り続ける漆製品……ロマンである。
「やっぱり、宇宙の果てから生まれてきた物体ですよね」
大崎さんは、しみじみと言うのだった。
天才たるゆえん
絡繰り人形の佐野さんは、どんな漆器を作りたいのだろう。
「漆の技法で、表面を鉄錆(てつさび)そっくりに塗る方法があるんです。それを利用してみたいです。見た目は鋳物(いもの)。なのに持つと非常に軽くて、蓋(ふた)を開けて中を見ると、色とりどりの漆のつやがあるとか……びっくりしますよね」
絡繰り人形と同じく、佐野さんは「見た人の驚き」を大事にしているようだ。
だけど僕は、ちょっと不思議だった。漆芸をやりたくて藝大に入った佐野さんは、一方で千を超える部品を作ってまで絡繰り人形を組み立てている。どうしてそれが両立するのだろう。
「学校では漆をやって、バイト中に、バイトは予備校の講師なんですが、その空き時間に絡繰り人形の部品を作ってます。家でも、夜中まで作業してますね。睡眠時間は、だいたい三、四時間くらい……です」
「よく続けられますね。漆芸と絡繰り人形を、繋(つな)げようとは考えないんですか?」
「教授にも、漆を使って絡繰り人形を作ったら、と言われたことはありますが、今のところそのつもりはないです」
「別個のものなんですか?」
「まあ、無理に一緒にするものでもないと言いますか……どちらもやめずに続けていくとは思いますけど。いま作っている絡繰り人形は、卒業までに何とか完成させて、誰かに見てもらいたいですね。まあ、そんなに注目されることはないと思いますが……何か結果が出たら、嬉(うれ)しい、そう思います」
何だか、肩に力が入っていない人だ。
ふと、音校の青柳さんを思い出した。二人とも独特のゆるさがある。絡繰り人形で世界に打って出るとか、口笛の魅力を世界に知らしめるとか、これ一本で食べていくとか……そういった勇ましい、積極的な言葉を彼らは使わない。考えもしていないようだ。
こんなに凄い人たちなのに、どうしてそうなんだろう?
佐野さんが何気なく口にした。
「僕、ものを作っている時間が、好きなんです」
赤坂の地下一階にある小さなライブハウス。
僕と妻は、青柳さんの「口笛ライブ」を聴きにやってきていた。ジンジャーエールを舐(な)めながら待っていると、青柳さんがちょっと照れくさそうに笑いながら、手を振って現れる。拍手。スポットライトが当たるなか、マイクを持つ。
ピアノの伴奏が始まり、青柳さんが目を閉じて口をすぼめる。
高く透き通った音色がどこまでも広がっていき、唐突に素早いリズムに切り替わったかと思うと、また滑らかに伸びていく。まるで青柳さんは空中に浮かび、魔法の雲を口から吹き出しているかのよう。これが本当に口笛なんだろうか?
「こりゃすごさね……」
あまりの感動で妻が意味不明な関西弁を口にするくらい、素晴らしい演奏だった。だけど僕の心に残ったのは、誰よりも楽しそうに口笛を吹く青柳さんの表情である。見ているこっちが嬉しくなるくらい、とっても気持ちよさそうなのだ。
たぶん、そういうことなんだ……。
僕は、「ものを作っている時間が好き」と言った佐野さんを思い出していた。
誰かに認められるとか、誰かに勝つとか、そういう考えと離れたところに二人はいるようだ。
あくまで自然に、楽しんで最前線を走っていく。
天才とは、そういうものなのかもしれない。