源氏物語は「処世術の実用書」、徒然草は「終活本」 古典文学の新しい楽しみ方とは

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右肩下がりの時代に生きる術

“色恋の話”とのイメージが強い「源氏物語」だが、昨今の賃金も上がらぬ低成長時代に何が必要かのヒントを得られる「実用書」としても読めそうだ。また、ネガティブな言葉となった「忖度(そんたく)」の効用に触れるなど“処世術を記した最古の書”の貌(かお)も持つのである。

「万葉集」の編者とされるのは大伴家持だが、彼は生前は左遷され、死後も暗殺事件の首謀者という嫌疑で埋葬も許されず、官位も剥奪されるという憂き目にあっている。名族の大伴氏の権勢は衰退の道を辿り、平安時代中期になると完全に藤原氏の世になっていた。

 彼らは娘を天皇家に入内(じゅだい)させ、生まれた皇子の後見役として権勢を握る外戚政治を行い、それは道長の時代にピークを迎える。その道長の娘で、一条天皇の中宮であった彰子の家庭教師だったのが「源氏物語」の作者・紫式部である。

 同物語は、そんな権力の中枢に近い紫式部だからこそ書けた、右肩下がりの時代に生き残る術を記した実用書として読むことができる。

〈よろづの事、昔には劣りざまに、浅くなりゆく世の末〉(「梅枝」巻)と、主人公の源氏は言う。没落の危険性は高貴な人でも変わらない。時勢が味方しているうちはいいが、後ろ盾に先立たれ、時運に見放されたが最後、人に軽んじられバカにされ落ちぶれる……。

 そうならないためにはどうすればいいか。学問だ、と源氏は言う。

〈才(ざえ)(=学問)をもととしてこそ、大和魂(実務を処理する能力)の世に用ゐらるる方(かた)も強うはべらめ〉(「少女(をとめ)」巻)と。

 運勢が衰えた時、拠りどころとなるのは学問。知識や才覚をもととしてこそ大和魂が世に用いられる可能性も高いというのだ。ちなみに〈大和魂〉という語の文献上の初出は「源氏物語」である。後世の精神論的なイメージと異なり、実用的な能力の意で、漢学を意味する〈才〉と対比されていた。

上に忖度しながら学問を身に付ける生き方

 須磨で謹慎することになった若き日の源氏は、憂き目を見たあかつきにこんな考えに至ってもいる。

〈我より齢(よはひ)まさり、もしは位高く、時世(ときよ)の寄せいま一(ひと)きはまさる人には、靡(なび)き従ひて、その心むけをたどるべきものなりけり。退きて咎(とが)なしとこそ、昔のさかしき人も言ひおきけれ〉(「明石」巻)。自分より年齢・位・声望の優れた人にはなびき従って、その人の〈心むけ(意向)をたどる(推し量る)〉。要は優れた人の意向を忖度すべきだった、自分が一歩退けば非難されることはないと昔の賢人も言い残しているじゃないか、と。

 すこし前に「忖度」という語が世間を騒がせたが、千年以上昔から日本は忖度の必要な国だった。出る杭になってはいけない、と主人公に思わせるような国だったのだ。しかしそんなふうにエラい人に従っていても、時勢が移れば自分も失脚してしまう。そこで必要になるのが学問なのだ。忖度で世渡りしながらも、しっかりとした学問を身に付けることで、世の移り変わりに対応できる。

 源氏はこうした信念のもと、12歳になった息子を低い位に抑え、学問の道に進ませる。今も政治家は2世、3世であふれているが、当時は高位の親を持つ子には、はなから高位が与えられる「蔭位(おんい)制」が敷かれていた。源氏もその権勢や声望から、親王並みに、息子には四位の高位を授けることができた。にもかかわらず、六位にとどめ、学問に励ませたのである。結果、息子は堅実な権勢家として政界に君臨することになった。ただし色恋は父に似ず、不器用という設定だ。

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