源氏物語は「処世術の実用書」、徒然草は「終活本」 古典文学の新しい楽しみ方とは

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 千数百年の昔から脈々と読み継がれてきた古典文学は、日本人の叡智の宝庫でもある。終活や組織内でのサバイバル法を指南し、読む者の心身を解毒する――悠久の時を経て、令和を生きる我々にも示唆を与えてくれるのだ。そんな古典文学の新しい読み方を紹介する。

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“人生100年時代到来”といわれる中、“老害”“長生きリスク”が指摘される現代ニッポン。700年近く前に書かれた「徒然草」は、そんな風潮を先取りするかのようだ。リアルな老醜を描き出すとともに、より良く人生を全うするための真の知恵を授ける「終活本」でもあった。

「徒然草」は高齢者にとっては耳の痛いことばが多い書物だ。

〈命長ければ辱多し。長くとも四十(よそぢ)に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ〉(第7段)という名高い一節をはじめ、40歳を過ぎた人が色恋の噂をするなとか(第113段)、老いたら引っ込んでろ(第134段)、50までにものにならぬ芸はやめろ(第151段)などといった厳しいことばが並んでいる。

 が、長生きリスクに対応した終活本として読むと、なるほどと思えるふしがある。

 兼好法師が「徒然草」を書いたのは50歳前後のころといわれ、最近の研究では彼は70代後半まで生きたという(小川剛生『兼好法師』)。しかも前近代の平均寿命の低さは乳幼児の死亡率の異常な高さによることが知られており、70歳くらいまで生きる人もまれではなかった(鬼頭宏『人口から読む日本の歴史』)。令(りょう)で定められる定年(辞職がゆるされる年齢)も70歳。そこまで生きれば病や事故に遭う確率も高まり、恥をかいたり辱められたりも多くなる。長生きに「リスク」がつきものなのは今も昔も変わらない。まして医療や福祉、アンチエイジングも発達していない当時、兼好法師が〈みにくき姿〉となる老齢まで生きて何になる(第7段)、長生きして恥や病苦と共に生きてどうする、早死にするに越したことはないと言うのは一理ある。

生前贈与のススメ

 彼自身、病に苦しんでいた。〈病にをかされぬれば、その愁(うれへ)忍(しの)びがたし〉(第123段)と言い、〈よき友三つあり〉として〈医師(くすし)〉を挙げる。良い医師に巡りあえない、行きたい病院は紹介状が必要で容易に行けず苦労している私は大いに共感する。ちなみに他の二つは〈物くるる友〉と〈智恵ある友〉(第117段)。これまた年金暮らしの人にとっては共感するところ大であろう。

 兼好法師が繰り返し説くのは“老人は無理のない生き方をせよ”ということ。

「老いて力が衰えているのに〈分〉(限界)を知らなければ〈病〉になる」(第131段)と主張する。さらに、

「白髪頭で壮年の人と並び、まして、及びもつかないことを望み、どうにもならないことを嘆き、実現しないことを期待して、人を恐れ、人に媚びるのは、他人の与えた〈恥〉ではない。〈貪る心〉に引かれて、〈自ら身をはづかしむる〉のだ。〈貪る事〉がやまないのは、命を終えるという大事が今、目前にきていることをしっかり自覚していないからだ」(第134段)と断言。加えて、

〈身死して財(たから)残る事は、智者(ちしや)のせざるところなり〉(第140段)

 智恵ある人は死後、財産を残さない。不要な物を蓄えているのも見苦しい。死後、相続争いが起きるのもみっともない。「死後は誰に」と決めているものがあれば生前に譲っておくのが好ましい、ともいう。生前贈与のススメである。

 そして、〈必ず果(はた)し遂(と)げんと思はん事〉は時期を選んでいてはならない、すぐさまなすべきである、と強調する。

〈死は前よりしも来(きた)らず、かねて後(うしろ)に迫(せま)れり〉(以上、第155段)

 ある程度の年齢を数えれば、死はすぐそこに迫っているものと認識すべきなのだ。

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