町工場で実践した「意識改革」と「生産性向上」――諏訪貴子(ダイヤ精機代表取締役)【佐藤優の頂上対決】

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 創業者である父の急死によって、突然、総勢27名の町工場の社長となった32歳の主婦。彼女はいかにその赤字会社を立て直し、成長に導いたのか。リストラ、従業員の再教育、そして新シムテムの導入などで効率化を成し遂げ、テレビドラマにもなった「町工場の娘」の奮励努力の軌跡。

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佐藤 東京の大田区は町工場の密集地帯として知られていますが、このあたり(大田区千鳥)も、戸建住宅やマンションに交じって、工場がチラホラありますね。

諏訪 昔、この一帯は工場ばかりだったんです。大田区にはピーク時に中小企業が1万社近くありましたが、いまは4200社ほどです。

佐藤 半分以上がなくなった。

諏訪 工場が次々と住宅になっていきましたから、景色がすごく変わりましたね。ただここは準工業地域で、皆様のご理解もあって、いまも事業を続けさせていただいています。

佐藤 諏訪さんの会社はどんな製品を作っているのですか。

諏訪 部品の寸法が要求精度内かどうかを計測する「ゲージ」や、加工する部品を適切な位置に誘導・固定する治工具(じこうぐ)などを作っています。

佐藤 主に何を作る際に使われるものですか。

諏訪 自動車ですね。主要取引先は自動車メーカーです。どこも製品ごとに専用のゲージを導入しています。ピストンだけでも60種類のゲージがあるといいます。

佐藤 自動車産業を下支えしている。こうした製造業を支える中小企業では、いま事業承継が問題になっていますね。先般、このコーナーにネットで事業承継者を探す会社を興した方に出ていただきましたが、中小企業の事業承継は非常に難しく、毎年5万社近くが休廃業、もしくは解散しているといいます。

諏訪 リスクを負いたくないという若者たちが増えていますからね。事業承継だけでなく、起業するのも難しくなっていると思いますね。

佐藤 その原因の一つは、ロールモデルがないことだと思うんです。その点で、諏訪さんはすごくいいロールモデルになっていると思います。

諏訪 いえいえ、いつの間にか中小企業の代表みたいになっていますが、試行錯誤の毎日ですよ。

佐藤 今回、岸田内閣が作った「新しい資本主義実現会議」のメンバーにも選ばれましたが、政治家や官僚は、中小企業経営でいま何がネックになっているのか、中でも事業承継では何が問題になるのかをよくわかっていないと思うんです。

諏訪 せっかく中小企業の現場の声を届ける機会を与えていただいたので、頑張らなきゃいけないとは思っています。ただ私は突然、経営者になってしまったので、ほんとに手探りでここまできたんですね。

佐藤 創業者であるご尊父が急死されて、会社を継がれたのでしたね。

諏訪 はい、2004年のことです。ただ父が私に継いでほしかったかは、結局わからないですね。「継いでくれ」と言われたことはなかったですし、亡くなる時にも「頼んだ」という言葉があったわけでもない。

佐藤 ほんとに大事なことは、親子でもなかなか言えないものです。

諏訪 2012年に「勇気ある経営大賞優秀賞」をいただいた時、古参の社員から「もし娘が経営者になった時には支えてやってくれ」と父が言っていたと、教えられました。だから、そうなるかもしれないとは、どこかで思っていたのでしょうね。でもそれを知ったのは、社長になって10年近く経ってからですよ。

佐藤 知らなかったのが、よかったのかもしれない。

諏訪 それはあります。いま考えると、父から頼まれたのではなく、自分で選んだ道だから、強い意志や責任感が持てたと思います。

佐藤 継がれる前は専業主婦でした。

諏訪 だから社長って、何をしたらいいか、ほんとにわからなかったんですよ。インターネットで「社長の仕事」と入れて検索したくらい(笑)。

佐藤 ただ会社勤めの経験はある。

諏訪 はい。大学は工学部で、卒業後は自動車部品メーカーでエンジニアをしていました。でも2年ほどで寿退社しています。

佐藤 大学のご専攻は?

諏訪 工業化学です。材料の分野が少し仕事に関係するくらいです。

佐藤 社長就任時、会社はどういう状態だったのですか。

諏訪 売り上げはピーク時の半分、赤字で経営難に陥っていました。

佐藤 いきなり高いハードルを課されたわけですね。

諏訪 はい。ネットで調べても当然、社長の仕事はわからなかったので、それなら私は「会社のエンジニア」になろうと思ったんです。だから最初にやったのは分析でした。会社の問題点を抽出して、それに一つひとつ対応することで、黒字化していこうと考えました。

佐藤 ほんとに基本的な部分から始めていったのですね。

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