町工場で実践した「意識改革」と「生産性向上」――諏訪貴子(ダイヤ精機代表取締役)【佐藤優の頂上対決】

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規模は追求しない

佐藤 諏訪さんは、経営学を学ばれたことはあるのですか。

諏訪 ないです。ドラッカーの本も買ったのですが、3ページで飽きちゃいました。名経営者といわれる方々がいろいろ本を出されているのは知っていますが、本もテレビの番組も見ないようにしているんです。「下町ロケット」も見ていない。

佐藤 それがプラスに働いているのでしょうね。私も書評を書く時は、出版社が用意したリリースや先行する書評を読みません。

諏訪 すごい経営者はたくさんいらっしゃいますが、このダイヤ精機のことを一番よく知っているのは私です。また他で成功した生産方法がいいからといって、ウチに合うかはわからない。よく「経営コンサルタントがいるのですか」とも聞かれるのですが、そういう人には「机上の空論だ」とか言ってケンカしちゃうタイプなので(笑)、頼みません。

佐藤 中小企業経営者にとって、経営コンサルは危険ですよ。それぞれ従業員も利益構造も違いますし、問題点がなくても問題を作って、中抜きする人がいますから。

諏訪 だから会社は私が組み立てていくしかないと思っています。

佐藤 諏訪さんは規模を大きくされることは考えなかったのですか。例えば関連企業をM&A(買収)して、諏訪コンツェルンを作るとか。

諏訪 ぜんぜんその欲望はないです。そもそも向いていない。

佐藤 いまのベンチャーの人は、みんなそっちを向いています。

諏訪 私が把握できて引っ張っていけるのは30人が限界です。いま27名だからちょうどいい感じで、その人たちを幸せにすればいい。大きくするとすれば、のれん分けですね。技術を習得した社員が独立して、グループ会社を作っていくという夢は持っています。この会社も、元は母方の伯父の会社からのれん分けしてできた会社ですから。

佐藤 その会社はまだあるのですか。

諏訪 なくなりました。母の兄2人がゲージ屋で、長兄の会社はまだありますが、のれん分けしてもらった次兄の会社はもうありません。

佐藤 ゲージ一族なんですね。

諏訪 そうなんです。ゲージはミクロン(千分の1ミリ)単位で精度を保証しなければなりませんし、その職人を育てるのも大変です。1ミクロンでも磨き過ぎたら、一発で赤字になってしまう世界ですから、非常にリスクが高い。だから大手は撤退してしまったんです。

佐藤 では非常に貴重な技術を持つ会社ということになりますね。

諏訪 大型ゲージを作れる会社は日本に5社しかなく、その最北端だそうです。リーマンショックで仕事がほとんどなくなってしまった時、ゲージだけは増えたんです。あの時、生産拠点を海外に移した会社が多かったため、ゲージの輸出がかなり増えたんです。ゲージをやっていなかったら、あの時期を乗り越えられなかったかもしれない。

佐藤 祖業が会社を救った。

諏訪 そうです。やっぱりこの会社の存在意義はゲージにあると再認識しました。リスクが高いので売上比率の2割までに抑えましたが、ゲージからは撤退しません。先代の思いとか、受け継いできた技術をなくしてはいけない。リーマンショック以後、ニッチトップを目指すという目標が芽生えました。そこに向かって頑張っているところです。

諏訪貴子(すわたかこ) ダイヤ精機代表取締役
1971年東京生まれ。成蹊大学工学部卒。95年自動車部品メーカー・ユニシアジェックス(現・日立オートモーティブシステムズ)入社。97年退職。2004年、父の急逝に伴いダイヤ精機社長に就任。11年に野田首相(当時)が工場視察し、翌年「勇気ある経営大賞」優秀賞を受賞。また「ウーマン・オブ・ザイヤー2013」にも選出された。

週刊新潮 2021年12月23日号掲載

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