ウィンブルドン優勝「沢松和子」引退後の功績に迫る 車いすテニスのレジェンド・国枝慎吾を輩出(小林信也)

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 昭和を生きた人なら大半が、「沢松和子」を知っているだろう。

 16歳で全日本テニス選手権と全日本室内に優勝。同じ年、ジュニア最高峰のオレンジボウル(マイアミ)16歳以下女子シングルスで優勝。イギリス選手と組んだ18歳以下女子ダブルスでも優勝し2冠に輝いた。

 16歳から24歳まで国内で192連勝。海外でも18歳で全仏オープンとウィンブルドンの女子ジュニアで連続優勝を果たした。当時テニスウエアは白一色。上品な佇まい、清楚な中にたくましさを秘めた沢松和子の姿は、少年の眼にも眩しかった。

 テニスがまだ「上流階級のスポーツ」と思われていた時代。兵庫県西宮市の自宅には「テニスコートがある」、まさに上流階級に生まれ育ち、世界に飛び出したヒロインが沢松和子だった。

 そして24歳の初夏、1975年6月のウィンブルドン。

 女子シングルスこそ3回戦でクリス・エバート(米)に敗れたが、女子ダブルスで日系3世のアン清村(米)と組んで優勝を飾った。日本人初の快挙に、国中が沸き返った。試合は録画中継され、「テニスブームを巻き起こした」といわれる。テニスがいよいよ誰もが楽しむスポーツに変わる大きなきっかけだった。

首を涼しい風が

 和子はそれから43年後、石川県津幡町での講演会で、自分がテニス選手として目覚めた瞬間を次のように語っている。

「私が若い頃はいまのようにたくさんの試合があるわけではありませんでした。関東ジュニアと関西ジュニアがあって、次は全日本ジュニアという時代でした。一番印象に残るのは、私が12歳で初めて試合に出場したときのことですね。シード選手相手の1回戦はとても長い試合になりました。もう暑くて、これ以上戦えないと思うほどでした。そのとき、私の首のところを涼しい風が通り抜けていったのです。おそらく一瞬のことだったのでしょう。その温度とか感触などをいまでもはっきりと覚えています。そのとき、ホッと一息つくことができ、元気が出てきて何とかその試合に勝つことができました。決勝では姉の順子にやられてしまったのですけれど、あの勝利が次の全日本出場につながりました。そのことが自分のテニスの第一歩となったのですね、そういう意味で一番印象に残っています」

 決勝で和子を退けた姉・順子の長女が、元テニス選手の沢松奈生子だ。

 和子は全英を制覇した後、全米オープンでは女子シングルス準々決勝に進出。イボンヌ・グーラゴング(豪)に苦杯を喫し、この年限りで現役生活を終えた。全盛期に引退した経緯を、同じ講演で語っている。

「ウィンブルドンに優勝する前の年に、私を育ててくれた父に、来年を限りに引退するとはっきりと申しました。そしてその年の冬は、できる限りの力を尽くして練習しました。自分の苦手なことを克服することも含めてです。それがウィンブルドンの優勝につながったわけです。しかし、引退するという決意はみじんも揺るぎませんでした。引退して寂しいとか、残念だったとか思ったことはありません」

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