「男には仕事と嫁というふたつの賭けがある」…笑福亭仁鶴さんが妻の故郷で挙げた銀婚式 【2021年墓碑銘】

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「視聴率を5%上げる男」

 吉本中興の祖と呼ばれた笑福亭仁鶴さんは、上方落語の面白さを全国に示した人でもあった。たたみかけるように客を笑わせても、人をからかって安易な笑いを誘うことはなかったという仁鶴さんの「美学」を偲ぶ。

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 笑福亭仁鶴さん(本名・岡本武士(たけし))といえば、「四角い仁鶴がまぁ~るくおさめまっせ~」のフレーズと、穏やかな表情が思い浮かぶ。80歳を迎えた2017年まで30年以上、NHK「バラエティー生活笑百科」の司会で親しまれた。

 上方落語界を代表する存在であり、1960年代末から70年代半ばにかけての人気は凄まじい。高座に上がれば、一言発する前から大喝采。週に15本ものレギュラー番組を持ち「視聴率を5%上げる男」と称された。

 落語評論家の広瀬和生さんは振り返る。

「今の上方落語があるのは、仁鶴さんの活躍のおかげです。タレントとして知名度を上げても落語をおろそかにしなかった。戦後、存亡の危機にあった上方落語を四天王と称された桂米朝さんらが復興させ、その次の世代にあたる仁鶴さんがもり立てた。上方落語の面白さを全国に示したのです」

間口は広いが奥行きはない、と自戒

 37年、大阪生まれ。父親は小さな鉄工所を営んでいた。爆笑王と呼ばれた初代桂春團治の落語をおさめたレコードを古道具屋で偶然手にし、大阪にこんな面白い落語があったのかと感激。61年、六代目笑福亭松鶴さんに24歳で入門、吉本興業に所属する。

 放送作家の保志学さんは思い出す。

「新喜劇や漫才を楽しみにしている客に落語を聴いてもらうには、たたみかけるように笑わせなければと痛感します。でも、人をからかって安易な笑いを誘うことはありませんでした」

 話芸は、66年に始まった深夜ラジオ番組「オーサカ・オールナイト 夜明けまでご一緒に」で開花した。

 放送作家の大河内通弘さんは覚えている。

「速いテンポで喋ってもリズムが良くて臨場感がある。声だけでリスナーを巻き込んでいった。猛烈に話し続けるパワーの持ち主でした」

「どんなんかな~」といった何げない言葉も仁鶴さんのリズム感でギャグになる。69年から「ヤングおー!おー!」でテレビでもレギュラー出演し全国区の人気に。

「仁鶴さんは吉本興業の中興の祖と呼ばれた。戦後、松竹芸能の方が実力を持っていたが、仁鶴さんの人気で松竹を追い抜いた。吉本は今も仁鶴さんへの恩を忘れていません」(保志さん)

 抜群の人気を誇った時期も、間口は広いが奥行きはない、と自戒していた。無理して面白さを狙うのではなく、お客が自然と落語の世界に入れることを目指した。

 演芸・演劇評論家の矢野誠一さんは言う。

「東京で落語をお願いしたことがあります。饒舌であり、笑わせながらも、同時に醒めた視点も持っている魅力的な落語家でした」

 ワイドショーで司会を務めたことも。放送作家の古川嘉一郎さんは言う。

「仕切るのではなく、謙虚で聞き上手でした。大御所なのにスタッフにまでとても気を遣うのです」

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