立川談志から盟友・いかりや長介へ「送る言葉はないよ。あいつは俺の中で生きてるから」

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 立川キウイ著『談志のはなし』(新潮新書)の中から、今年で没後10年となる立川談志師匠の知られざる横顔を伝える3回目は、談志師匠がこよなく愛した、ザ・ドリフターズのいかりや長介さんとの関係を。名コメディアンと落語界のレジェンドが、互いを尊敬していたことが伝わるエピソードだ。(以下、引用は同書より)

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「俺はね、一流じゃないの、二流、超二流なの」

 番組収録で師匠にくっ付いてフジテレビに行った時、スタジオ前の廊下で志村けんさんが煙草を吸ってまして、お互いに気付き、志村さんは煙草を口元で手にしながら微笑んで会釈、師匠もニコッと笑ってスッと近付きました。そして話しかけました。

「前ね、長ベェ(いかりや長介さん)とテレビで対談したことがあってね、言ったんですよ。ドリフは一流になっちゃったから落ちたら三流になるぞと。逆にね、三流が一流になることもあるんですよ、三平さんみたいなのとかね。俺はね、一流じゃないの、二流、超二流なの。俺はあなたにもその感じがするんだよな」

 よく師匠って前後も脈略も何もなく、自分で今思ってることを突然話したりするんですね。だからいきなりカレーの話をしたり、それこそ地球のことを話したり。

 ともかく、志村さんは黙ってニコニコ嬉しそうに師匠の話を聞いてました。優しそうで大人しい穏やかな雰囲気でした。それが僕が唯一、志村けんさんとお会いできた機会です。

 師匠にくっ付いてるとよく有名人と会えるんですよ。師匠も会いに行くし相手からもくるし。しかもジャンル問わず。

急遽、師匠の“前座”引き受けたいかりや長介さん

 そういえば、いかりや長介さんにもお会いできたことがありました。

 あれは銀座のビヤホールで師匠のトークライブがありまして、2001年の6月10日と日記には書いてあります。この日も師匠は開演5分前になっても来ない。お約束です。

 それで落語じゃないから弟子がつなぐわけにもいかないし、どうしようどうしようとなったら、

「私でよろしかったら、つなぎましょうか」

 そう言って買って出てきて下さったのが、なんと、いかりや長介さん。

 たまたまこのライブにお客さんとして来てたんですって。もう渡りに船ですよ。

「オイッス!」

 開口一番のこれ、シビレましたね~。そして次の一言が秀逸でした。

「私が前座をつとめるのはビートルズ以来でして……」

 いや、これはスゴイですよ。そして20分くらい経ったでしょうか。師匠が到着。無事にトークショーが始まりました。

 師匠はカントリー&ウエスタンの大御所、ジミー時田さんとも仲良くされてて、いかりや長介さんはそのジミーさんのバンドメンバーだったご縁もあり、それで知り合ったというふうに聞いています。

 それでこの夜の師匠、いかりや長介さんが来るって知ってたから、遅れてきてもつないでくれるだろうというのもあったんじゃないかなと。

「長ベェに感謝です」

 ステージからそうも言ってました。

 長ベェ。この呼び方からも古くから親しくしてるのが判りますし、2004年にいかりやさんが亡くなった時も、師匠はテレビの取材で言ってました。

「送る言葉はないよ。あいつは俺の中で生きてるから」

デイリー新潮編集部

2021年10月21日掲載

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