ドン逮捕で開いた日大会見に文句なし 田中派の新理事長に浴びせた記者の質問に違和感

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「おかしいと思っても問題にできない」

 加藤学長兼理事長のこの発言を鵜呑みにしていいかどうか、そこは取材が必要だろう。だが、「日大アメフト危険タックル問題」の当初から「日大問題」を取材し続けた私からすれば、当時アメフト部長であった加藤学長兼理事長もまた、田中体制の「被害者のひとり」と言えるのではないかと感じていた。もし田中理事長がいなければ、加藤氏はもっと普通に尊敬され、矢面に立たされることもなかった。田中体制が13年も続いた日大にあって、教授たちはそれぞれ究極の選択を迫られていた。学内で田中に背くか、やむを得ず受け入れて任務を果たすか、一切関わらない姿勢で過ごすか。

 加藤氏が一切出世を望まない、というか、体制側に関わらない生き方もできただろう。しかし、教学の現場、つまり学部内においては誰かがその役目を務めなければ生徒を指導する機能が停止してしまう。

 記者会見やその後の報道を見ても、「これで日大は本当に変われるのか?」「そう簡単に支配から脱却できないだろう」「田中体制の下にいた加藤新理事長では無理」といった決めつけが主流を占めている。しかし、加藤学長兼理事長は、煮え湯を飲まされ、誰よりも田中体制の元凶を知る人物である。質疑応答の中でも少し触れていたが、加藤氏は「なぜ田中独裁を止められなかったか」の理由を嫌というほど知っている人である。

 私はずっと取材していて、「なぜ田中体制を崩せなかったのか」「なぜ学内から声を上げられなかったのか」という世間やメディアの疑問に対する明確な答えを得ていた。組合を通じて熱心に改革を訴え続けていたある教授の言葉だった。

「世間から見ればおかしいことばかりでしょうが、田中理事長(当時)のやっていることは全部、規則に則っているんです。日大の規則には違反していないのです。だから、おかしいと思っても問題にできないのです」

 規則をひとつひとつ田中理事長が改正し、独裁体制を築きあげてきた。

「アメフト事件で辞任した井ノ口被告がなぜすぐ理事に復帰できたのか?」「どう考えてもおかしい」と世間は憤るが、この裏にも明快なカラクリがある。この点にも加藤学長兼理事長は言及していた。理事の数名は、校友会(OB会)枠で選ばれる。井ノ口被告はその枠で選ばれた。校友会の会長は誰あろう田中前理事長だった。ありとあらゆるところに、客観的なチェックの利かない規定や規則が張り巡らされていた。すべて、理事長の意向が反映され、独断専横を止められない仕組みになっているのだ。

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