「金メダルでなければ結婚が否定される」 向田真優が明かす試合前の重圧と勝機を掴んだ瞬間(小林信也)

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紛糾した理事会

 コーチを最終決定する理事会はもめた。当初は志土地復帰反対が大勢。やがて少数の正論──向田には志土地コーチのサポートが必要──がこれを覆した。選手が希望するセコンドを付けるのは、過去のオリンピックでもずっと慣例だった。

 前回までは代表の大半が師事していた至学館大の栄和人監督が主にセコンドに付いていた。他の選手の場合、例えば浜口京子には父でコーチのアニマル浜口が付いた。理事会は最後に志土地復帰を認め、向田のセコンドに付けることになった。そうなればなったで、重圧がさらにのしかかった。

「金メダルを獲れなければ何を言われるかわからない。絶対に負けられない……」

 悲壮な覚悟。東京五輪の金メダルは、「つかみたい夢」である以上に、獲らねば結婚さえ否定されかねない厳しいハードルとなった。

 8月5日、女子53キロ級の戦いが始まった。

「決勝に上がって来ると思っていたインドの選手がベラルーシに負けたんです。ベラルーシの選手はやりにくい。過去に逆転負けしたことがある。でもリベンジしたい気持ちもありました」

 複雑な思いを抱えて、向田も一戦ずつ勝ち上がった。すると、ベラルーシの選手が中国のホウ倩玉(ホウセイギョク)に準決勝で敗れた。

「ホウはよほど調子がいいんだと思いました」

 控室で見かけるとホウはずっと笑顔だった。

「あんなに笑顔を振りまいている姿は見たことがなかった。計量の時も目が合ったら笑ったんです」

 向田は心理的に圧(お)された。ホウには勢いがあり、自信がみなぎって見えた。

 翌6日の決勝。前半、立て続けにポイントを奪われた。前半を終えて0対4。相手の勢いが勝っていた。“まずい、このままではやられる”、マットの脇で見つめる志土地は焦った。

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