任天堂・中興の祖「山内溥」 かつて「会社に必要なのはソフト体質の人間」と語った意味

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ポケモンGOの大ヒット

 正確に言うと、ポケモン社は任天堂が議決権の32%を保有する持分法適用会社である。

「ポケモンGOの世界的な大ヒットは、もはや社会的現象だ」とまで言われた。

 ポケモンGOは任天堂の主力事業である家庭用ゲーム機と相乗効果が期待されていた。欧米でもポケモンGOの配信開始以来、携帯型ゲーム機「ニンテンドー3DS」の販売がハード、ソフトの両面から伸びた。

 任天堂はポケモンやスーパーマリオなどスマホ向けゲームのキャラクターを豊富に抱える。知的財産(IP)を活用するという任天堂の戦略は、もともと株式市場で評価が高かった。ポケモンGOの大ヒットでさらに、ゲーム機との相乗効果が期待されるようになったわけだ。

 任天堂と米国でユニバーサル・スタジオを運営するユニバーサル・パークス&リゾーツは、任天堂のゲームの世界観を体験できるエリアを日本の大阪、米国のオーランドとハリウッドの3都市で展開すると発表した。それぞれのテーマパーク内に任天堂のエリアが誕生する。任天堂はキャラクターの使用を通じてロイヤリティ収入を得る、新たな仕組みを構築した。

 ポケモンGOの世界的大ヒットで、ライセンスビジネスの間口が広がった。

ファミコンで“大勝負”

 大阪の「スーパー・ニンテンドー・ワールド」は2020年の東京オリンピックに合わせ、当初は同年夏前にオープンする予定だったが、コロナ禍でユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)は営業を休止したため、任天堂エリアの開業も無期限の延期となった。

 その後、21年2月4日にグランドオープンすることが改めてアナウンスされた。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大で大阪府に緊急事態宣言が出されたことから再度延期となり、3月18日にやっとオープンにこぎつけた。

 USJは21年9月28日、2024年の開業を目指し「ドンキーコング」をテーマにしたスーパー・ニンテンドー・ワールドの拡張を発表した。計画によると、コースター型のランド・アクションや飲食、物販、インタラクティング施設が建設される予定だ。

 1983年7月15日、任天堂は家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」を発売した。開発を指示したのは3代目社長の山内溥(ひろし)。浮き沈みが激しい業務用ゲーム事業から手を引き、家庭用で大勝負に出た。

 ファミコンは発売半年後から急激に売り上げを伸ばし、累計販売台数は6191万台に達した。ソフト販売本数も、85年の「スーパーマリオブラザーズ」などと同じ5億本超の大ヒットとなり、任天堂が世界企業に飛躍するきっかけとなった。

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