任天堂・中興の祖「山内溥」 かつて「会社に必要なのはソフト体質の人間」と語った意味

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時価総額10兆円超

 東京株式市場で任天堂株の人気は高い。

 2007年10月には株価が7万円を突破し、時価総額は10兆円を超えた。時価総額10兆円超えはトヨタ自動車(23兆円)、三菱東京UFJフィナンシャルグループ(12兆円)に次ぐ規模。“ゲームソフト屋”にとって、とてつもない大記録である。

 他人のフトコロ具合を詮索しても仕方がないが、山内溥オーナーの持ち株(1416万株)の時価総額を最高値(7万3200円=07年11月)で計算すると1兆円を超えた。イチロー選手が同年にシアトル・マリナーズと結んだ5年契約で総額110億円など安い、安い。

 ポスティングシステムを利用してイチローが大リーグ入りする時も、当時、シアトル・マリナーズのオーナーだった山内溥が「イチロー獲り」を直接指示したと言われている。

 日本の大企業で米シアトルに現地法人の本社を置くのは任天堂だけだった。マリナーズの買収は、地元に球団を引き留めて欲しいとの要請に山内溥が応えたまでのことだった。

 07年当時の社員のボーナス支給額も金融関係を除けば任天堂が日本一だった。「ニンテンドー」はみんなに幸福をもたらした。米国の景気がサブプライムローン(低所得者向けの住宅融資)ショックで下降線をたどり、個人消費に影を落とすまでは、まさにそうだった。

花札が会社の原点

 任天堂の創業は1889(明治22)年9月23日。有名な工芸職人だった山内房治郎が京都の平安神宮の近くに「任天堂骨牌(こっぱい)」を創立、花札の製造を開始したのが始まりだ。

 花札の裏に「大統領」の印を押した「大統領印の花札」は、関西の賭博場で広く使われた。プロの博打(ばくち)打ちは勝負のたびに新しい札を使ったから、任天堂の花札は良く売れた。

 房治郎は工芸家であると同時に事業家でもあった。日本専売公社(現・日本たばこ産業[JT])と交渉して、花札とカードをタバコの流通網に乗せることに成功した。賭博場の客はよくタバコを吸う。煙草と花札は親戚のようなもの、という強引なこじつけが利いたというから不思議である。

 1902(明治35)年、日本で初めて、国産トランプを製造したのも房治郎だ。

 房治郎には跡継ぎとなる男の子がいなかった。婿養子として金田積良(かねだ・せきりょう)を迎えた。山内積良に改名して2代目社長となる。積良の子供も娘ばかり。3代目の跡取りとして長女の婿養子として工芸家の家に生まれた稲葉鹿之丞(いなば・しかのじょう)を迎え入れた。

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