茂木新幹事長のパワハラ伝説 担当者の間で共有される20ページ超の「接遇リスト」の中身は

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 わずか1カ月で前任者が退いたために訪れた千載一遇のチャンス。茂木敏充前外相(66)が党のカネと実権を掌握する幹事長へと歩を進めた。だが、将来の総裁候補となった彼の過去の行状を繙(ひもと)くと信じられない逸話の数々が……。世にも珍しい「超人」の履歴を辿った。

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「大学生の時に家庭教師をやりたかったんだけど、できなかったんだよね。なぜなら、生徒に対して“何でできないんだ!”って思っちゃうからなんだよ」

 自民党の茂木敏充・新幹事長はかつて記者へのオフレコ懇談でこう語ったことがある。「自分の頭が良すぎて周りがバカに見えてしまう」ことを吐露したこの発言は新幹事長の人間性を的確に言い表している。一貫したその姿勢が茂木氏を“超人”的な仕事をこなす「ビジネスエリート」へと変身させ、時にパワハラ・セクハラを働く「上司」にもなるのだから――。

 1978年、東京大学経済学部を卒業した茂木氏は丸紅、読売新聞を経て、83年にコンサルティング会社のマッキンゼー&カンパニーに入社する。すると、同社の幹部だった大前研一氏が92年、「既成政党の枠を超えた政治を」と政策提言集団・平成維新の会を発足させ、茂木氏が事務総長に就任した。ここが彼の「原点」と言える場だ。

 当時を知る元議員が語る。

「マッキンゼーでやっていただけあって、非常に頭脳明晰でした。どんな政策でも聞かれたらすぐに答えることができるし、一方で大前さんが親しくしていた細川護煕さんにも取り入るたいこ持ちのような一面もありました」

 平成維新の会の推薦もあり、93年の衆院選でその細川氏が代表だった日本新党から初当選を果たす。

「当時から極めて上昇志向の強い人だった。あれだけ細川さんにくっついていたのに、日本新党の先行きが見えなくなると、いの一番に自民党に移ってしまったんですから。当時の仲間は違和感を持っていましたよ」(同)

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