野村監督は新庄剛志になぜ投手をやらせたのか 「悔しいくらいかわいい」と言わせた師弟関係

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《彼はただの目立ちたがり屋で格好ばかり気にしているファッションボーイなんですよ。野球選手ではありません》──この辛辣なコメントは、誰が、誰について、言及したものか。(敬称略)

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 出典は、週刊ポストの2006年3月3日号に掲載された「師弟初激突ダブル・インタビュー」だ。

 ここでの《師弟》とは、野村克也(1935~2020)と古田敦也(56)の2人を指す。

 2005年のオフ、野村は楽天の監督、古田はヤクルトの選手兼監督に就任した。記事は、ヤクルトで“師弟関係”にあった2人に、当時の心境を訊くというものだった。

 冒頭で紹介したのは、野村の発言である。こき下ろした相手は、日ハムの監督就任が発表され、今や“時の人”となった新庄剛志(49)だ。担当記者が言う。

「2003年のオフ、新庄さんは大リーグのメッツから日ハムに移籍しました。記事が掲載された06年は日ハムで最後にプレーしたシーズンとなり、この年のオフに現役を引退しました。野村さんと新庄さんは1999年から2000年の2年間、阪神で監督と選手でした。いわば、こちらも“師弟関係”だったわけです」

“水と油”の2人

 辛辣な内容だとはいえ、《格好ばかり気にしているファッションボーイ》という指摘に頷く向きもあるだろう。

「野村さんと新庄さんと言えば、まさに正反対のイメージがあります。野村さんは『知将』の名をほしいままにしました。講演会を行えば、海千山千の企業経営者も唸らせる理論派でした。一方の新庄さんは『宇宙人』がニックネーム。突拍子もない発言やパフォーマンスが由来です。ファッションも派手で、契約更改には超高級スポーツカーで乗り付けるなど、常に世間の耳目を集めました。毀誉褒貶も多く、野村さんの発言も批判的な文脈として受け止められたはずです」(同・記者)

 しかし野村と新庄の発言を辿ってみると、意外にも強固な“師弟愛”で2人は結ばれていたことが分かる。キャラクターは“水と油”だったかもしれないが、2人は結構、馬が合ったのだ。

「新庄さんは福岡にある西日本短期大学附属高で活躍しましたが、甲子園出場は果たせませんでした。1989年のドラフト会議で阪神から5位指名を受けて入団します」(同・記者)

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