「次の電車に飛び込もうって……」 シンクロ・田中京が語る現役時代のメンタルの危機(小林信也)

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6時間ホームに立ち

 5月の最終選考会で田中は小谷、伊東恵とともに、デュエットの代表に選ばれた。が、本番の決勝でどのふたりが泳ぐかは直前まで決まらなかった。

「そのことがいちばんメンタルをやられました。代表に選ばれはしたけれど、88年10月1日の決勝で泳げる人間かどうか、決まっていなかった。小谷さんに合わせられるのは田中しかいない、伊東さんの足技に勝たないと選んでもらえない、ともう必死でした。

 本当に苦しかったのか、たった一日ですけど……池袋の駅で6時間くらいずっとホームに立って、次の電車で飛び込もうって……。練習の後、夕方まで」

 思いつめた日があった。

「でもね、おなかがすいちゃって、“ママの玉子焼きが食べたいな”と思ったら山手線に乗れたんですよね」

 静かに振り返る。母親というセキュアベース(安全基地)に田中は助けられた。

「きつかったですね。追い詰められてた感じかなあ。でも、あれがなかったら、あそこで息抜きさせてもらっていたら、オリンピックを目指すのをやめていたかもしれない。あの時私、メンタルトレーナーがほしかったわけじゃないですね。ちゃんと追い詰められるって大事だし……」

 その経験は、メンタルトレーニングのスペシャリストとして活躍する原点になっている。

 東京2020に向け、車いすバスケ男子日本代表に8年間携わった。過去最高7位を上回る銀メダル獲得の陰に田中の存在があった。

「今回は選手といい距離を置くことができました。依存もされなかった。ちゃんとひとりで追い詰められることも大事、助けちゃいけないときがある……。人を信じることがとても難しいのがチーム競技です。今回のチームは本当に仲がいい、雰囲気がいいと言われましたが、人間ってそんなにすぐ親しくなれません」

 ここに至るには、本人たちの厳しい自己との対峙があった。田中は彼らの気づきや葛藤に適度な間合いで寄り添ったのだ。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。「ナンバー」編集部等を経て独立。『長島茂雄 夢をかなえたホームラン』『高校野球が危ない!』など著書多数。

週刊新潮 2021年10月28日号掲載

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