「京大霊長類研究所」への惜別の辞~学生誘拐事件と「化石をかみつぶした」天才研究者の物語(後編)

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旅行保険も傷害保険も加入せず

 そこでは、かわるがわるさまざまな組織の研究者が来訪・滞在し、十指にあまるほどの種類のサルの観察を行うことが可能だった。

 かくいう私も院生時代に伊澤氏に刺激されて、南米に滞在したひとりなのである。私と伊澤氏、所属も身分も異なる者同士が、どのようにして知り合ったかというと霊長研を介して、交流をもったのである。

 霊長研は、サルの研究に関心のある者が各地では孤立していたとしても、霊長研を訪ねれば同好の士を見出すことができる、あるいは必要な情報をえることができるというセンターの役割を果たしていた。そして、海外フィールドにでかけるという希望すら、かなえられたのである。

 まだ海外への航空券が高価だったころの話である。私自身についていえば、1979年に南アメリカと日本を往復する航空運賃は、およそ100万円であったと記憶している。霊長研の非常勤職員という身分を与えられてのことだった。

 安直な分、すべてが雑駁だったことも事実である。フィールドワークでジャングル生活をするというのに、旅行保険はおろか傷害保険にも加入しなかった。ケガをしても病気になっても、その場でどうするか思案するという感じである。

学生誘拐事件のてん末

 事実、マラリアにかかってエラい目にもあった。ことばもわからずに現地の人間と森でふたりで暮らし、サルを追っかける。今なら発電機や、ケータイがあるだろうが、何もない。川の水(コーヒーを入れる前からコーヒー色をしている)をわかし、食料も現地調達した。

 振り返って何か事故に遭遇してもまったくおかしくない状況だったと感ずる。しかし霊長研の先輩たちのフィールド経験に従えば、それが当たり前だった。こういう調査が永遠に続くと考えていた。事故など、起こるはずはないと誰もがたかをくくっていた。

 ただし、それほど現実は甘くない。

 コロンビアでは想像もできないことが勃発することとなった。先述のフィールドステーションにたまたまひとりで滞在していた、当時関西の私立大学の学生で、やはり霊長研経由でやってきていた男性がコロンビアマフィアに誘拐されるという事件が起きたのである。

 誘拐といっても、ひもでくくられたり監禁されたりというわけではない。さらわれ、マフィアのテリトリーである街で軟禁状態に置かれた。身代金さえ払えば解放するという。

 結局、間に立ったのは当時、霊長研の大学院に在籍していた女性学生で、単身、身代金をキャッシュで日本からゲリラのもとまで運んで、件の学生を解放してもらう破目になったのだった。

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