元公安警察官は見た 某国の駐日大使館に亡命申請して却下された“大佐”の末路
プルーフ・オブ・ライフ
「大佐は、バラン師のサポーターでした。それが発覚するのは時間の問題だったので、バラン師がいる国に亡命を求めたのです。ところがその国にとっては、保護下に置いているバラン師の存在がすでに重荷となっていました。そこへさらに数万にのぼるバラン派を受け入れ始めたらもっと大変なことになる。その駐日大使館に駆け込むという大佐の判断は、正直言って無謀なものでした」
勝丸氏は、大佐の身の危険を案じた。
「日本は安全と思われがちですが、2019年7月、タイから日本に亡命した男性が自宅で何者かに襲われる事件が起きています。襲われた男性は、タイ軍部が背後にいると主張していました」
勝丸氏は、大佐を“シェルター”と呼ばれる公安部がよく使用する都内のホテルに入れた。大佐が使う部屋の両隣と真上の部屋を押さえ、公安部員を配置して、24時間体制で警備したという。
「自殺防止のために、ベルトやネクタイ、靴紐、バスローブの帯、剃刀などはこちらで預かりました。携帯電話を渡し、安全確認のために定期的に電話に出てもらうことにしました」
大佐はシェルターに数日滞在した。
「わざわざ公用旅券で日本に来た人物の身柄を、いつまでも押さえておくのは主権侵害と言われかねません。なによりも大佐自身が、母国に戻るしかないという気持ちに傾いていました。しかし、このまま大佐を母国の大使館に引き渡したら、どのような扱いを受けるか目に見えています」
実際、こんな事件が起こっている。
「2018年10月、トルコのイスタンブールのサウジアラビア領事館で、政府に批判的だったサウジアラビア人のジャマル・カショギ記者が殺害され、遺体がバラバラにされるというおぞましい事件がありました」
勝丸氏は、一計を案じた。
「日本国内には、バラン派のコミュニティがありました。彼らに、大佐のことを知らせてはどうかと思いました。大佐が大使館に入った後、定期的にバラン派の人たちが電話したり訪問したりして、大佐のプルーフ・オブ・ライフ(POL、生存の証明)を示すように求めてもらうのです。もし大使館が大佐の安否について回答を拒否したら、バラン派は世界中の人権擁護団体やマスコミに訴えて大使館の非道を糾弾することになりますからね」
勝丸氏は大佐に会って、こう質問した。
「日本国内のバラン派にあなたのことを教えることを希望しますか」
大佐は即座に、
「希望します。そんなことまでやってくれるのですか。本当に感謝します」
勝丸氏は都内のホテルでバラン派のリーダー格と会って、大佐のPOLの確認をするように頼んだという。
「本来、警察官が保護対象の人物の情報を外部に漏らすことは許されません。けれども人道的措置のためには仕方がありませんでした」
勝丸氏は大佐の母国の大使館に電話を入れ、元々面識のある武官に面会を申し入れた。
「『あなたの国の大佐が消息を絶っているはずです』というと、武官は露骨に驚いた顔をしていました。大佐が母国に帰ることを希望しているが、自分の身に危険が及ばないか恐れている。無事に帰国させてもらえる保証があれば、ここにお連れしますと伝えると、武官はすぐ本国へ連絡しました」
そして1時間後、
「武官は『大佐を受け入れます』と言うので、私は『日本国内で、大佐に危害が加えられるようなことがあったら、とても大きな問題になりますよ。大佐が母国に戻った後も、彼が正当に扱われることを希望します』と伝えました」
2台の覆面パトカーを手配して、大佐を大使館に送り届けたという。
「大使館で大佐の引き渡しを終えて私が帰ろうとすると、大佐はこちらを振り返り、私に軽く手をあげました。大佐が母国に戻って以降、どうなったかはわかりません。生きていてくれればいいのですが……」
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