「白と黒」二つの時代を経て横綱・白鵬引退 双葉山「後の先」を断念が転換点

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 横綱・白鵬の引退が明らかになった。

 史上最多の優勝45回、横綱在位84場所、通算1187勝、幕内通算1093勝などいずれも史上最多。7場所連続優勝は朝青龍と並び史上1位タイ。双葉山に次ぐ歴代2位の63連勝は、横綱としては史上最多記録だ。記録を挙げたらきりがないほど、素晴らしい勝利を重ねた大横綱であることはいまさら書くまでもない。それなのに引退にあたってどうしても「手放しの賛辞」とならないのは、休場が続いた現役終盤の態度や言動のせいだろう。

 振り返って、改めて不思議に感じる。

 横綱になってしばらく、白鵬は「日本人以上に日本人らしい」とも形容され、広く愛される横綱だった。いわば善玉。ところがいつからかヤンチャが目立つようになり、すっかり日本文化の敵(かたき)役」のようになった。

 私は端的に「白い白鵬」と「黒い白鵬」と受け止めている。白から黒への転換はどうして起こったのか?

協会の常識や相撲文化の慣例に背く言動

 記録的には次の数字が浮かび上がる。

 白鵬が横綱に昇進したのは2007年名古屋場所。そこから約10年、2016年9月場所で休場するまでの54場所の間に、34回もの優勝を重ねている。割合にすれば約63%。ほぼ3場所に2場所は賜杯を手にしていた。横綱の鑑といっていい活躍ぶりだ。ところが、その後はケガに悩まされ、休みがちになる。過去4年間、2017年9月場所からの24場所で見れば、途中休場も含めて15場所の休場を数えた。こちらも62.5%で、批判を浴びてもやむをえない多さだ。

 休場が増え、休場批判が高まる少し前から、協会の常識や相撲文化の慣例に背く独自の言動が目立つようになっていた。

 15年初場所優勝翌日の記者会見では、稀勢の里との取り直し判定をあからさまに批判した。17年九州場所の優勝直後には自ら観客を促して万歳三唱をした。厳重注意を受けたにもかかわらず、19年春場所の優勝直後には三本締めを行うなど、日本相撲協会にとって「制御不能」の存在となった。取り組みにおいても、プロレスまがいの肘打ちを平然と頻発するなど、横綱の品格を問われるラフな相撲内容が問題視された。しかし、白鵬はそれらの批判にどこ吹く風といった様子で、本心からの反省や謝罪は感じられなかった。白鵬からすれば、それも相撲という激しい戦いそのものだという自負と主張だったのかもしれない。

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