10代で人工肛門になり最新医学で機能を取り戻した医師 大腸がんを早期発見する「観便」を啓蒙

ドクター新潮 医療 がん

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肛門から全血液を出血

 退院してからも、症状は改善と悪化をくり返す。

「当時は横浜の自宅から池袋の先にある高校に通っていました。品川から池袋まで山手線をほぼ半周しての通学です。すると、登下校中に便意に襲われます。トイレががまんできず、間の11駅全部で下車したこともあります。都心部の駅構内のトイレは混んでいて、行列ができていることもあるので、山手線各駅周辺の“マイ・フェイバリット・トイレ”をリストアップしました。スーパーや、百貨店の婦人服や化粧品のフロアにある男性用トイレはきれいで、混んでいないんですよ」

 駅の外のトイレを利用するようになると、学校へ行かなくなっていく。

「途中でトイレに行けば遅刻して、教師に叱られます。だから、休んでしまう日が増えました」

 トイレまでがまんできなくて、もらすことも。

「バッグには常に着替えを入れていました」

 高校時代には不登校になった。多感な10代にとって、排泄の失敗は心に大きなダメージを与える。

「学校へ行かずに池袋や渋谷を歩いていると、同世代のきれいな女の子たちを見かけます。素敵だな、と思います。でも、僕は最下層の人間だと思っていたので、恋愛など分不相応だと自分に言い聞かせていました」

 さらに下痢が激しくなり、病院でようやくその本当の原因が判明する。

「マイコプラズマ肺炎ではなく、潰瘍性大腸炎だとわかりました。なぜ判断が違ったのか――。僕が血便を重要視していなかったため、医師に伝えなかったからです。また下痢のせいで、血液が混じっていることを判別できませんでした」

 潰瘍性大腸炎は、大腸内の粘膜に慢性的な炎症が生じ、びらんや潰瘍ができる病気。症状は、腹痛、下痢、血便、発熱など。原因がまだ不明の難病だ。

 日本では、安倍晋三前首相がこの病気を理由に第1次政権時に辞職。第2次政権下でも症状が悪化、退陣に追い込まれたことは記憶に新しい。それで、多くの人に知られる病気になった。

「潰瘍性大腸炎にはまだ根本的な治療法がありません。ただ、症状を抑える新薬は増えています」

 高校卒業後、石井さんはフリーターに。

「大学の附属高校でしたが、上に進めず、まともに働くこともできず、自宅に引きこもるようになりました」

 身体は衰弱し、身長は164センチながら、体重はわずか32キロまで落ちた。

「死んだら楽になるだろうなあ」

 本気で思っていた。

 そして19歳のとき、いつもよりも激しい腹痛があり、病院に運ばれる。

「病状が悪化して、肛門から大出血しました。1日に6リットル。体重32キロの僕の全血液です。下から失った分をすぐに輸血する処置をくり返しました」

 生死の境をさまよい、薄れゆく意識の中で石井さんは初めて「生きたい」と思った。

「神様、お願いです。僕を助けてください。もし助けていただけたら、残りの人生のすべてを、人のため、社会のために使います」

 心に誓った。

「一命をとりとめたものの、大腸をほぼ取り除き、人工肛門生活になりました」

 石井さんは、フリーター、童貞、コミュニケーション障害、そして人工肛門で20歳を迎えた。

「死を間近に見ると、何も怖くなくなります。なんでもできると思えます。でも高校も満足に通っていなくて、手に職もなく、体力もない。僕にできる仕事はなかなか見つかりません」

 そのとき、石井さんに手をさしのべたのは祖母だった。自宅でできる仕事を見つけるために30万円もするパソコンを買ってくれた。

「ネットで思いもよらぬ情報を見つけました。人工肛門を閉じる、回腸嚢(かいちょうのう)肛門管吻合(ふんごう)術という術式です。お腹の中で残っている小腸をJ字型にぶら下げて、肛門とつなげます。その手術を行う横浜市立市民病院で診てもらうと、あっさり、できる、と言われました」

 ただし、人工肛門になる以前とまったく同じ機能を取り戻せはしない。

「大腸をほとんど失っているので、体内にうんちを溜められません。だから術後は1日に15回ほど、状態が落ち着いてからも5回ほど便意が訪れます。人工肛門の手術は、かつては大腸だけでなく自前の肛門も取り除いていました。その場合、回腸嚢肛門管吻合術はできません。この手術を受けられて、心の底から担当医に感謝しました」

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