ジョニー・デップが写真家を好演 映画「MINAMATA-水俣-」が伝える報道の精神

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「いま」と共通するメディア変革期

 ユージンとアイリーンが水俣に赴いた1970年頃と、その50年後である2021年の現在には、共通する点がある。どちらもメディアの大きな変革期だという点だ。

 インターネット全盛のいま、日本に限らずジャーナリズムの力は相対的に弱体化している。筆者は仕事柄、メディア志望の若者たちと接する機会がかなり多い人間だが、それでも年々、メディア志望や報道志望の人間を見つけるのは難しくなっている。

 今から50年ほど前も、やはり活字からテレビへと移り変わるメディアの変革期だった。そんな時代に、スチールカメラという手段で報道に命を懸けたのがユージンだった。彼はフォト雑誌に投稿するフォトエッセイで一世を風靡したが、水俣病の写真を発表した当時、フォト雑誌はテレビに押され衰退の末期だった。

 ユージン・スミスという人間くさいジャーナリストの半生を描いていた本作の最後の場面では、世界中で続く環境汚染との終わりなき闘いの現状が、字幕などを通して伝えられる。つまり、ジャーナリストの闘いにも終わりはない。

 報道の使命とは何か。ジャーナリズムが伝えるべきものとは何か。時代がどんなに変わってもその仕事を担っていく人間には大きな違いはないのではないか。そんなことを改めて見ている側に突きつけてくる作品だ。

水島宏明/上智大学文学部新聞学科教授

デイリー新潮取材班編集

2021年9月22日掲載

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