「毛利元就」末裔のエリート外交官のDV疑惑 息子が外務省の“隠蔽工作”も告発

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 今年は日本史にその名を残す戦国大名、毛利元就の没後450年。元就公といえば“三本の矢”で、死の間際に息子3人を枕元に呼び、結束の力を説いた逸話で知られる。親子の信頼関係あってこそ成り立つ物語だが、その末裔の場合、息子が親の恥ずべき不行状を告発するという異常事態に……。

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 民間企業と同じく外務省職員の朝も、メールチェックというお定まりの所作で始まる。が、8月23日、その一通を開いた職員は驚愕して椅子から転げ落ちた。

 そこには、こうあった。

〈突然失礼いたします。僕は、オーストラリアの大使館に異動になった毛利忠敦の息子です〉

 毛利忠敦(ただあつ)氏が8月1日付でオーストラリア公使になっているのは事実で、

〈父の関係者の方々に送らせていただいています。非常識なことをして申し訳ありません。僕は、皆さまに知っていただきたいことがあります。父は2018年6月に、部下の女性からセクハラで告発されて、停職9か月という処分を受けました。しかし事件後も父は反省どころか、僕たち家族の気持ちを踏みにじる行為を続けました〉

 職員の脳裏には、3年前のあのニュースがよぎった。

 外務省ロシア課長がセクハラで停職9カ月に――。

 当時を知る外務省関係者が振り返るには、

「毛利氏は、中国地方に覇を唱えた戦国時代の大名・毛利元就の血を引く毛並みのよさと、ロシア語が専門の“ロシアンスクール”内での優秀さとで“エース”と一目置かれる存在でした。ロシア課長時代も北方領土返還交渉の実務を担うなど枢要な仕事を任されていたのですが、同僚の女性へのセクハラで処分され、出世コースを外れたのです」

 9カ月の停職が明けた毛利氏は、東欧ベラルーシの公使に異動。そして先ごろ、オーストラリア公使を拝命した。日本と友好関係にある大国への赴任は悪くない話のはず。なのに、なぜこんなメールが?

 答えは、そこに添付されていたワードファイルにあった。1部と2部に分かれた文書でA4判じつに18ページに及ぶ。書き出しは以下のような文面だ。

〈2018年4月、当時中学2年だった僕は、夕飯中に父から「子供部屋が散らかっているから片付けなさい」と注意されました。僕は「食事が済んだら片付ける」と言って食事を続けていました。数分後、父は豹変して僕の所に戻って来て激高しました。まだ食事中の僕は、父にいきなり椅子から引きずり降ろされて、何度もひっぱたかれ、床に投げ倒され、馬乗りで首を絞められました〉

 世に言うDVか。続けて、

〈父が豹変した理由はわかりまん(ママ)が、父は激高しやすい性格です。その時僕はこのまま父に殺されると思いました。父は、家で長年DVを繰り返して来ていて、母は妊娠中にも暴力を振るわれたそうです〉

 なんと妻にも暴力を……。

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