暴力団組長が僕に言ったこと、高倉健に救われたこと…3人死亡・7人重軽症「京都・亀岡暴走事故」で娘を亡くした父親の告白(後編)

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孫たちが20歳になるまで

「京都の高島屋の前で募金とか署名をお願いしていたら、組の関係者が署名を持ってきてくれたりもしました。もっとも、別の場所で僕らの偽物が登場して募金を集めているという話も聞きましたが。悪人と思っていた人たちが良くしてくれて、一見、善人風の輩が悪事を働いていた。そんな現実に直面した瞬間でもありましたね」

 遺された遺族同士である身内の関係も複雑になってしまった、と中江さんは打ち明ける。

 事故後、中江さんは暴力団関係者だという風評のせいで、下請けとしての仕事から干されてしまっていた。ネット上でそのような噂を流す者がいたのだ。

 一方で、署名活動などを行うにはそれなりに費用もかかる。思い詰めた中江さんの息子は被害者の夫であった娘婿に対し、「親父は相当カネを持ち出している、お前も助けてあげてくれへんか」と懇願したこともあったという。
 
「娘婿は、事故の補償などでお金が入ってきたら折半しようと言ってきました。しかし、僕はそんなものを求めていたわけではありません。だから『娘の命のお金は孫たちのもんやぞ』と言いました(注:夫妻には2人子供がいた)。僕としては2人の孫たちが20歳になるまではお金に手をつけてほしくなかったんです。しかし娘婿はその言葉に過剰に反応したのか、僕がお金を狙っているように誤解して、弁護士を雇ってしまいました。そんなこんなの結果として、孫とも会えなくなってしまったのです」

 結局、娘婿たちは中江さんの知らないうちに別の町へと引っ越してしまった。

「娘からは結婚前にも、そしてその後にも娘婿との関係については色んな相談を受けていて、そのたびにアドバイスはしてきました。“結婚しない方がよかったのかな……”と漏らしたことは何度となくありました」

辛い境遇を支えてくれた高倉健

 中江さんのもとには、交通事故遺族の繋がりで様々な相談も舞い込んでくる。財産分与をしていたひとり娘が娘婿の運転によって事故で亡くなってしまった……というケースもその1つだ。詳細は、稲葉まき著『綾ちゃんの赤いちいさなお守り―交通事故被害者遺族・母の日記―』としてまとめられている。

 話を中江さんに戻すと、娘を失くし、仕事を失い、それまでの人間関係も失う。無免許運転をした加害者にとっては単なる運転ミスの結果かもしれないが、事故後もあらゆるものが壊されていくのだ。

 そんな辛い境遇を支えてくれたのは意外な人物だった。

 俳優の高倉健さんだ。

 中江さんの義理の兄が過去の繋がりを通じて高倉プロにアポを取ったところ、健さんから励ましの写真とメッセージが返ってきた(*写真参照)という。2012年秋ごろ、健さんが亡くなる2年ほど前のことだった。

「娘が亡くなった時に涙は出なかったけれど、そのときは思わず泣いてしまいました。2度もお便りをいただいて、僕もできることが何かあるのかもしれないと思ったんです。本当に救われました」

 その後、中江さんは犯罪更生保護団体「ルミナ」を立ち上げた。「一人でも加害者を作らなければ、犠牲者は生まれない」という考えから、懲役を終えた人たちを受け入れ更生に協力する活動をする団体だ。

「刑務所で講演をする機会にも恵まれましたが、寝てる受刑者がおっても健さんの名前を出したら、“なんでお前が健さんに触れんねん”ということで目を見開いてくれる。1時間半以上の僕の話は苦痛なのは仕方ないけど、健さんのインパクトはすごいなぁと思います」
 
 もちろん中江さん自身の苦しい経験から生まれた言葉にも説得力があるに違いない。

デイリー新潮取材班

2021年9月10日掲載

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