上智大生殺害事件 「今ならば間違いなく逮捕できた」捜査員が嘆息
平成8(1996)年9月9日、朝からの雨が激しく降り続いたその日、東京葛飾・柴又の民家から火の手が上がったのは午後4時40分頃だった。近隣からの119番通報で消防が出動、木造モルタルの居宅は全焼したものの午後6時には鎮火した。しかし、一部、床が抜けるほどにまで焼損した、その2階の焼け跡で消防署員が見たものは、粘着テープで縛られた女子大生の遺体だったのである。そして、その日から25年が経った……。
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「八王子スーパー強盗殺人」(平成7年7月)、「世田谷一家4人強盗殺人」(平成12年12月)、そしてこの「柴又・上智大生殺人放火事件」を合わせて、平成の「三大コールド・ケース(未解決凶悪事件)」と巷では総称する。いずれも物証に乏しく、犯人像にすら遠く及ばない。それぞれ、600万円、2千万円、800万円の懸賞金が付き情報提供を呼びかけるも、犯人逮捕に結び付く新たな情報は、残念ながら皆無といってもいいだろう。
柴又の事件で殺害されたのは、上智大学外国語学部の4年生(21)だった。米国留学を2日後に控え、自宅で一人、荷造りをしていたところ、凶行に襲われた。粘着テープで口を塞がれ両手両足を縛られた遺体は、頸部右側に集中して数カ所の切創があった。凶器は残されていなかったが、傷痕の形状から、刃渡り8センチ程度の小型ナイフ(果物ナイフかペティナイフ)と特定されている。
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