公開から34年『ゆきゆきて、神軍』が今も人気の理由 原一男監督が語る「奥崎謙三」という男

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神軍平等兵・奥崎謙三は何度でもよみがえる!

 原一男監督のドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』が公開されたのは、バブルに浮き足立つ1987年のこと。東京・渋谷のユーロスペースで公開されるや驚異の反響を得て、同館史上未踏の大ロングランを記録した。

 主人公は、第二次世界大戦中にニューギニアに派遣されていた兵士・奥崎謙三(1920〜2005)。傷害致死罪の前科ほか、昭和天皇にパチンコ玉を発射し暴行罪で服役した過去のある奥崎が、戦時中、自らが所属する連隊で起きた、隊長による部下射殺事件の“真相”に迫る姿を撮った作品である。時に恫喝や暴力に訴えながら「戦争の暗部」を明るみに出そうとする奥崎の戦いは、多くの観客の心を揺さぶった。

 ミニシアターの「アップリンク」(東京・吉祥寺ほか)では、2017年より毎年、終戦記念日前後に「夏の神軍祭り」を開催しており、戦争を知らない世代も足を運ぶ。今年は奥崎ゆかりの品々を展示する「神軍平等兵 奥崎謙三遺品展」も併せて行われた(アップリンク吉祥寺は終了、京都で9月9日まで開催)。さらに12月3日には、『ゆきゆきて、神軍』デジタルリマスター版のBlu-ray特別限定版『大神軍BOX』が発売予定。公開から34年がたった今でも高い支持を得ている本作について、原監督に話を伺った。

奥崎謙三=昭和のアメリカン・ヒーロー

――本作はドキュメンタリー映画では驚異的な息の長さだと思います。今年は原監督と小林佐智子さん(『ゆきゆきて~』のプロデューサーで原一男夫人)が保管されていた奥崎の遺品を展示した「遺品展」も開催されて、さらに盛況です。この作品が“時代を超えて”支持される理由はどこにあるのでしょうか。

原一男監督(以下、原監督):何て言うんだろう……情報過多な現代だからこそ、奥崎謙三みたいな強烈な存在に触れて刺激を受けたいと思ってるんじゃないかな。

 公開された1987年当時は社会現象っていうか、若い人がドッと映画館に押し寄せてメディアが騒いで評判が評判を呼んでって感じだった。その頃の若い人たちは奥崎謙三に、アメリカ映画に出てくるようなヒーローを見ていたんだって思う。アポなしで元上官の家を襲撃して戦争の真相を追究する、あのスタイル。小気味良いくらいにこきおろす、つるし上げるところが、非常に痛快に見えたっていうの? 1980年代の何もかもがすべて横並びに見えちゃうような時代の中で、自分の芯に突き刺さるような問題提起をみんな求めて、映画館に足を運んでいた気がする。

 奥崎さん自身は、天皇制というシステムを破壊して神(天・自然)が統(す)べる世界を実現すると本気で信じていた。でも見る人にとっては、あの時代の漠然とした大きな何か、何か得体の知れない物から自由にさせてくれる、解放してくれる存在として奥崎さんを見ていたんじゃないかなと思う。だから奥崎さんのたった一人の喧嘩に快哉を叫んだのでは。

 奥崎さんの問題提起、たとえば人肉食(作中で奥崎が迫った、飢えた日本兵がニューギニアの現地民を食べていたというエピソード)、処刑事件の証言なんて、完全に日常から逸脱した、今聞いても驚かされる話だよね。そういう意味で、87年公開のこの映画に、いまだに見られる価値はあるなって思っています。

 とにかく奥崎さんみたいな圧倒的な個性、私の言葉でいえば“生活者”に対する存在としての“表現者”は、昭和の時代にはいたんだよ。私の映画の主人公でいえば、不自由な身体で障がい者ならではの表現を見せる『さようならCP』(72)の横田弘や横塚晃一、『極私的エロス・恋歌1974』(74)のウーマンリブ運動を過激に押し進めた武田美由紀、『全身小説家』(94)で虚構としての自分史を死ぬまで貫いた小説家の井上光晴もそう。

 でも昭和が過ぎ去ってから、大きく変わってしまった。たとえばフリーライターの畠山理仁さんが『黙殺 報じられない“無頼系独立候補”たちの戦い』(集英社)でルポした、泡沫候補のマック赤坂っているよね。そういうユニークな人はいるよ。でも奥崎さんはユニークを突き抜けている、とてつもない破壊力を持った人だからね。

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