菅原文太を東映看板スターにした二人 ヤクザのようなプロデューサーと「おやっさん」と呼んだ先輩俳優

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純粋な淋しがりや

 東映における文太の恩人はもう一人いる。

 実力はあるのに役に恵まれず、新東宝、東映、大映、東映と渡り歩いてきた若山富三郎である。若山と文太の縁は、俊藤が68年公開「極道」(山下耕作監督)に文太を配役したことから始まった。

 文太は若山主演の映画に常連として出演するようになり、「文太」「おやっさん」と呼び合う関係になる。若山は東映では新人扱いだった文太に目をかけ、文太が主演した「現代やくざ 与太者の掟」(降旗康男監督)や「新宿の与太者」(高桑信監督)では、脇に回って盛り立ててくれた。

 また、若山といるときの飲食代は払わずに済んだ。若山は文太の他に大部屋の俳優も連れて豪遊するので、出演料が二日で消えたこともある。

 太っ腹で、後輩の面倒見がいい若山だが、問題はその親分気質だった。若山の一番弟子だった山城新伍が、当時を回想している。

《おやっさんにしてみれば、文ちゃんのことは立派に自分の子分だと思っている。(中略)安藤昇という元組長で自身のことを映画化して役者として名をなした人物から、自分が文ちゃんを預かったというような意識があったのだ。たぶん、安藤さんは「頼みますね」と言った程度に過ぎないのだろうが》(山城新伍『おこりんぼさびしんぼ』廣済堂文庫)

 若山は運動神経がよく、太った身体でトンボを切る。また、弟の勝新太郎が「お兄ちゃんには適わない」と認めるほど殺陣が抜群に上手い。柔道は黒帯の腕前だった。欠点は、気が短いためすぐに手が出ることである。文太も平手で殴られたことがあった。殴るにはそれなりの理由があったものの、若山は自責の念にかられ、翌日には文太にウイスキーを持っていった。文太は顔を腫らしていたという。

《「おい、文太、おまえ、酒、好きだろう? これ、家にあったからよ」どこかで買ったに違いない、きれいに包装したばっかりのウイスキーだったりするのだ》(前出『おこりんぼさびしんぼ』)

 若山は下戸なので、家に酒は置いていない。「悪魔の飲み物」と呼んで、むしろ嫌っていたのだが、断りきれずに酒を飲み、死にかけたことがある。

 ある日、高倉健がマムシ酒を差し入れにきた。若山が喘息持ちと聞いたからである。これで元気になってほしい、という高倉の思いに、若山は礼を言い、その場でコップに入ったマムシ酒を飲みほした。間もなく、若山の顔は腫れ上がり、歪んだマスクのように変形した。異常に興奮し、訳が分からないことを喋りまくる。病院に運ばれる事態になった。

 文太が東映に移籍して4年後、若山が文太を怒鳴りつけるという出来事があった。文太の主演作が増え、スター意識が出てきた頃だった。若山と共演していた映画の現場に、文太が大幅に遅れてきたのだ。二日酔いによる遅刻だった。若山は「役者ができん顔にしたろか!」と怒りをぶつけてきた。若山の迫力に押されたのか、以後、文太が遅刻をすることはなくなったという。

 男には強面だが、女の前では純情だったという若山は、一度離婚を経験したあとは、一人を貫いた。「若山組」と呼ばれる撮影所の取り巻きたちが家族だった。

 山城新伍によれば、《おやっさんはもともと、人が周りにわんさといなければならない、純粋な淋しがりやなのだ》という。

 さびしんぼの若山は、弟の勝新太郎、中村玉緒、清川虹子らと賑やかに麻雀の卓を囲んでいる最中に倒れ、息を引き取った。死因は急性心不全。鶴田浩二と同じく、享年62だった。

デイリー新潮取材班

2021年9月2日掲載

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