「諭吉は見ている?!」ふかわりょうが考える、「お会計」の美学

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「ただ自分に酔いたい」

 わかっています。女性側からすれば、なんとも思っていない人に奢られても嬉しくないし、むしろ、そういうことで恩を売られたり、関係性を構築されるのは迷惑でしょう。調子に乗られるのも癪でしょうし。「別にあなたに奢ってもらったところで私の心は微動だにしない」というのが本音かもしれません。しかし、男はそれでもいいのです。ただ自分に酔いたい。どうか花を持たせてください。

 ちなみに「割り勘」というのは「割り前勘定」という言葉が略されているそう。略すことに抵抗がある私も、知らずに使用していたので、フルサイズを時折呟いてバランスを取っています。初めて日本で「割り勘」をしたのは江戸時代後期の浮世絵師、山東京伝という方と言われています。それまで食事をする際は代表者が総額を支払うのが一般的だったのですが、商売人でもあった京伝は参加者の人数で割る方法を編み出し、「京伝勘定」と呼ばれていたそう。今ではごく当たり前になっていることですが、発想自体なかったのですね。この割り勘の概念は海外では珍しいようですが、「割り勘」の語感がよく、口にしやすいのもあって、今日も我々はそのシステムの恩恵を受けています。ただ、割り勘に似て非なるもので、ちょっと苦手なタイプがあります。

個別会計に抱いてしまう嫌悪感

「どうしたんだ」

 飲食店のレジから伸びる長蛇の列。何事かと思えば、自分で食べたものを店員さんに申告しています。いわゆる個別会計。同じテーブルで食べても会計はそれぞれ。私はあまり好きではありません。複数で来たならばテーブル毎の会計をするべきだし、店を出てから「割り勘」して調整して欲しい。それぞれの飲食したものだけを支払うのは合理的かもしれませんが、お店側は面倒ですし、「品」でいうと、あまり良いものではありません。確かに、みんながランチセットなのに一人アラカルトで頼む者がいたら、差額があるのに割り勘は腑に落ちないかもしれませんが、見え隠れする「差額」を仲間意識で埋めることに美を感じるのです。大の大人が、まるで学食のようにレジの前で注文したものを発表している光景には、やや嫌悪感を抱いてしまいます。

 誰が支払うのかわからない食事会。宴もたけなわの時に端の方で店のスタッフを呼び、こそこそ会計している偉い人と、それに気づかぬふりをしながら会話を続けるひととき。また、「ここは私が」と言っておきながら、しっかり会社宛ての領収書をもらう人。支払い時に現れる、人間模様。

 高速道路のETCサービスが始まる前、好きなやりとりがありました。車数台で出かけると、料金所を通過する際、係のおじさんが「あ、どうぞ行ってください」と。というのも、前の車が後続車の分も支払っていてくれたのです。仲間意識が高まって、旅が一層楽しくなったものですが、ETCだと、そんな粋な計らいもできなくなりました。

 ドラマなどで見かける、「あちらのお客様からです」のように、バーでマルガリータをご馳走したことはありませんが、コインパーキングで誤って違う番号の料金を支払ってしまったことがあります。意図したわけではないけれど、その車の持ち主に伝わらないもどかしさ。そこにバーテンダーがいたら、「あちらのお客様からです」と伝えてほしいものです。届かぬ愛を噛み締めながら後にする駐車場。

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