松坂大輔が呼んだ奇跡も…「夏の甲子園」で起きた“伝説の3大逆転劇”

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「お日さんが西から昇らなければ……」

 スーパーヒーロー・松坂大輔の圧倒的な存在感が大逆転劇を呼んだのが、1998年の準決勝、横浜vs明徳義塾だ。

 春夏連覇を狙う横浜は、前日の準々決勝、PL学園戦で大黒柱の松坂が延長17回250球を投げ抜いた疲れから、連投を回避せざるを得なくなった。一方、悲願の全国制覇まであと2勝に迫った明徳義塾・馬淵史郎監督は、松坂抜きの横浜なら勝機は十分あると確信し、「お日さんが西から昇らなければ、お前たちは勝てる」とナインを鼓舞した。

 その言葉どおり、明徳打線は横浜の控え投手2人に7回を除く毎回の14安打を浴びせ、6対0と一方的にリードした。

 だが、松坂は「それでも負ける気はしなかった」と右腕にテーピングしたまま、5回からブルペンで投げはじめた。7回まで散発の3安打に抑えられていた横浜打線も8回、「松坂をもう一度マウンドに」と“つなぐ意識”で心をひとつにして、エラーをきっかけに4点を返す。4対6。試合はわからなくなった。

 そして9回、松坂がテーピングを外してマウンドへ。まるで千両役者を迎えるように、スタンドから大歓声が起きる。明徳ナインにとっては、「お日さんが西から昇った」瞬間でもあった。

「(9回裏の攻撃で)いいリズムで打てるよう、力を込めて投げた」という松坂が15球でスリーアウトを取ると、その裏、後藤武敏の中前2点タイムリーで一気に同点。なおも、2死満塁で柴武志の打球が二塁手の頭上を越えた直後、まさかの大逆転負けを喫した明徳ナインは地面に突っ伏し、しばらく起き上がることができなかった。

 あれから23年、決勝でもノーヒットノーランの快投を演じ、甲子園の主役の座をほしいままにした“平成の怪物”も、ついに今季限りで現役生活に終止符を打つことになった。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮取材班編集

2021年8月11日掲載

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