夏の甲子園を巡る3大事件簿 「優勝旗盗難」に「赤痢発生」、「帰れコール」

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 今年で第103回を迎える夏の甲子園大会。100年以上の長きにわたる“真夏の祭典”は、グラウンド上で繰り広げられる熱戦とともに、さまざまな事件や騒動も起きている。

床下で発見された紺色の風呂敷包み

 深紅の優勝旗が盗まれるというショッキングな事件が起きたのが、1954年である。同年夏、中京商(現中京大中京)は、中山俊丈投手らの活躍で、出場6回で5度目の優勝を達成した。

 17年ぶりに名古屋に帰ってきた優勝旗の盗難が判明したのは、夏の甲子園から3ヵ月が経過した11月末だった。校長室に保管してあった優勝旗が、軟式野球大会の優勝旗とすり替えられ、影も形もなくなっていたのだ。

 野球部員はもとより、職員、一般生徒も協力して近隣の山まで捜索したが、見つからなかったため、同30日、昭和署に届け出た。警察は延べ500人を動員する殺人事件並みの捜査態勢を敷き、同校の後援会も10万円の懸賞金をかけたが、手がかりを得ることができないまま年を越した。

 ところが、「もう出てこないのでは」と関係者もあきらめかけた矢先の翌55年2月14日夕方、同校から約500メートル離れた名古屋市立川名中学校で、床板の修繕に来ていた家具商が、床下に紺色の風呂敷包みがあるのを発見。「初めは子供の死体かと思った」そうだが、中を開けてみると、なんと、盗まれた優勝旗だった。連絡を受けた瀧正男野球部長は、練習中の部員を伴い、現場に急行。旗にすがりついて歓喜の涙を流した。

 当時の中部日本新聞によれば、次のような不思議な話も伝わっている。

 川島広之主将が一日も早く見つかるように願をかけ、日参していた宗教団体の神官4人が発見当日に中京商を訪れ、「きっと今日中に発見してみせる」と瀧部長らに告げた。また、前日にも某所へ「占いによると、明日優勝旗が出る」と予告する投書が届いたという。

 偶然にしては出来過ぎた話に思えなくもないが、結局、犯人はわからずじまい。この事件以後、優勝旗を金庫に預ける学校が多くなった。この初代優勝旗は、58年の40回大会で役目を終え、甲子園大会期間中、球場内の甲子園歴史館に展示されている。

検便を命じられ……

 新型コロナウイルスの影響が心配される今大会だが、史上初の春夏連覇を目指して甲子園入りした直後、エースが赤痢と判明し、あわや出場辞退の窮地に陥ったのが、62年の作新学院だ。

 8月7日、コレラの予防接種の際に、同校のエース・八木沢荘六が下痢症状を訴え、開会式当日の同10日に赤痢と判明した。八木沢は約2週間の強制隔離となり、ほかのナインも宿舎から病院に隔離され、相宿の甲府工ナインともども検便を命じられた。

 大会本部は「あと一人新たな感染者が出れば、試合はやらせない」と通告。「赤痢より試合をやれなくなるほうが怖かった」という作新ナインだったが、八木沢以外にも下痢をしている選手が何人かいたらしい。「消えた男たち―ドラフト20年」(石川泰司著、毎日新聞社)では、健康状態が良好だった下級生が代役で検便を行ったという話も紹介されている。

 同12日、全員の陰性が判明し、2日遅れで初戦に臨んだ作新学院は、2番手投手・加藤斌が八木沢の穴を埋め、決勝までの5試合中3試合まで2点差以内という接戦続きの末、見事春夏連覇の偉業を達成した。

 なお、新型インフルエンザが流行した2009年には、立正大淞南が主将を含む5人を欠いた13人で準々決勝を戦うアクシデントもあった。

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