朝原宣治「リレー金メダルは夢じゃない」 伝家の宝刀「アンダーハンドパス」の歴史とは
「点のバトンパス」
「今は試合で測ったタイムもすぐに出るようになっているし、そういうデータの蓄積があるので過去の練習と比べられる利点があると思います。それまで感覚的に走っていたものが、実際のデータと結びついてきたというか、これくらいで走れば良いタイムが出るという感覚が強くなったんだと思います。自分たちの頃は40mのタイムも3秒7台が出ればめちゃくちゃ速かったけど、多分今の選手は普通に出す感じだし、リオの前の合宿では3秒6台を連発していたそうですから。リオでは僕たちがいくら頑張っても出なかった37秒台が出た(決勝は37秒60)。トラックが400mなかったんじゃないかと思ったくらいで(笑)。でもスロー映像で見たら、並走区間も北京の時のような減速もなくてピンポイントで渡すリスクの高いバトンパスをしていた。あそこまで行きつくのはけっこう大変だったのではないかと思います」
いわば、「線のバトンパス」から「点のバトンパス」への進化である。
さらに、リオデジャネイロ五輪で好記録を出せた大きな要因のひとつには、1走山縣で先頭に立ってレースを支配できたことがある。それまでの世界のトップチームの1走は速くても10秒2台後半だったが、山縣は10秒2台前半で走った。
「4継(4×100mリレー)では1走が唯一スターティングブロックを使い、さらにカーブがあるので、そこでそんなに差がつかないのは大きいと思います。今の日本が強いのは1走がほぼ1位に近い位置で渡してそこから順位を落とさないというところ。1走で差をつけられて後で逆転するというのはすごく大変です。日本は選手の特徴をとらえて走順を決めているし、1走のスペシャリストがたくさんいる。海外の9秒台の選手とも遜色なく走れるんですね」
リオ五輪後は、それまで約50~60cmだった利得距離をさらに伸ばすことに挑戦している。朝原氏はその難しさをこう表現する。
「今はバトンを渡そうとする“点”をめがけてポンと渡す形になっているから、本当に大変だと思います。しかもテイクオーバーゾーンに入って何歩目に渡すかという話もしているので、そこまでいくともう僕らの時代からは考えられない技術です」
銅メダルを獲得した19年ドーハの世界選手権では、決勝で37秒43とアジア記録を更新した。
「初代表だった白石黄良々が2走を務めました。それでも3位に入れたのは事前にヨーロッパの試合で走って慣れさせていたからだと思います。世界のあのスピード感でバトンを渡せるかどうかは、それを実際に体感しておかなければできるものではない。僕も96年アトランタ五輪でミスをした経験があるからわかるけど、それを事前にやっていたのは大きい。またドーハの時は予選で走った1走の小池祐貴を決勝で、個人種目には出ていなかった多田修平に代えています。あれも見た目の調子で小池が走れていなかったというだけではなく、過去の練習のバトンパスのデータを根拠にしていたのだと思います。土江コーチが多田と白石の練習タイムと比較して、『これなら調子が上がっている多田と白石の組み合わせがいい』と確信をもって代えている。そういうのは過去のリレーではできなかったことです」
アメリカやイギリスも…
さらに、選手同士のコミュニケーションもメダル獲得の要因だった。
「3走の桐生とアンカー、サニブラウンの決勝での修正はすごかったですね。サニブラウンはリレーのデビュー戦みたいなものだったので、予選では不安があったのかバトンを受けるときに思い切り走り出せていなかった。でも決勝ではちゃんとスタートを切れていたから、あれは多分桐生が言ったんだと思います。周囲の経験者が自信をもって言えたのは、レベルの高い試合を経験している選手が多くなってきているからだと思います」
リオデジャネイロ五輪でもそうだったが、決勝では予選よりも攻めるバトンパスをしているのも日本の強みだ。自分が走り出すマークの位置を渡し手と相談し、4分の1足長(約7cm)単位で距離を伸ばすなど、微調整してより加速した状態のバトンパスを目指そうとしている。それができる理由をこう言う。
「成功体験がずっと積み重なっていますよね。決勝ではちゃんとバトンが渡って、予選より絶対にタイムが上がるという自信がみんなの中にあるからだと思います。やはりリスクをとることへの怖さはあると思うが、それができるのは『世界の強豪たちと走っても自分たちは劣っていない。俺たちの方が強い』という自信の表れだと思います」
東京五輪へ向けた見通しを見れば、ウサイン・ボルトが抜けた後のジャマイカは近年は力が落ちている。選手が揃って強力なのはアメリカとイギリスという状況だ。しかも、バトンパスの卓越した技巧で距離を稼ぐ日本チームのアドバンテージが薄れつつあるともいわれる。バトンパスが必ずしも上手いとは言えなかったアメリカやイギリスなどもその精度を上げてきたからだ。そんな中で日本はどう戦えるか。
「9秒95の日本新記録をマークした山縣が1走に入ればチームとしても重みが出てきます。多田や小池も1走で使えるし、桐生が3走にいることも大きい。9秒台の記録を持った選手があれだけ器用にコーナーを走れるというのはすごく意味があることです。直線の2走と4走で競り勝つというのは難しく、キープするのが精いっぱい。競り勝てる1走と3走が安定しているのが日本の特徴だし、キーポイントだと思います」
さらなる攻めのアンダーハンドパスをどこまでできるか。日本悲願の金メダルはそこにかかっている。