「稲川会会長」に仕えた“ファンドマネジャー”庄司宗信の死 会長の財テク拠点「北祥産業」を切り盛り

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石井進会長の右腕

 東京佐川急便事件の暴力団ルートで総額157億円の特別背任罪に問われた「北祥産業」の元社長・庄司宗信氏が、5月15日、ひっそりと息を引き取った。享年89。かつて裏社会のファンドマネジャーと呼ばれた男は、1997年に最高裁で懲役3年の実刑判決を受けて2000年に出所すると、家族とともに静かに過ごしていたという。

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 もともと富山県出身で県庁勤めだった庄司氏は妻子と別れ、単身上京。公務員から一転、水商売の世界に飛び込むと、たちまち頭角を現した。65年、銀座にクラブ「花」をオープンさせると、いくつものグループ店舗を手掛けるようになる。

 ところが、折からのオイルショックで経営が悪化し、81年には、クラブ「花」も閉店の憂き目に。ネオン街を去った庄司氏が突然、世間を賑わすようになるのは、バブル崩壊の始まった91年だった。

 広域暴力団「稲川会」を率いる石井進会長の右腕に収まっていたことが、東京地検特捜部と警視庁が合同で手掛けた東京佐川急便事件によって明るみに出たのだ。

慢性心不全

 庄司氏を知る人物によると、「賭博事件で5年間の服役後、石井会長は出所祝いの祝儀金など3000万円を元手に、84年、“北祥産業”を設立しました。石井会長にしてみれば、経済界進出の足掛かりとなる会社でした」

 クラブ「花」の上客だった石井会長が、庄司氏を北祥産業の社長に据えたのである。石井会長が買い占めていた東急電鉄株が90年3月に暴落し、北祥産業は破綻に追い込まれるのだが、石井会長は何事もそつなくこなす庄司氏を常に帯同させていたという。

 91年9月、石井会長は脳腫瘍で鬼籍に入り、翌92年、一人残された庄司氏は警視庁に逮捕された。東京佐川急便からは石井会長のもとに総額2500億円が資金提供されたが、庄司氏はそのうちの157億円について特別背任容疑に問われ、97年暮れに実刑が確定したのだった。

 庄司夫人によると、出所後は2人の息子と家族4人で静かに暮らしており、

「数年前までゴルフにも出掛けていたのに、晩年は大動脈瘤や心筋梗塞、前立腺肥大も患い、結局は、慢性心不全で……」

 政財界に浸透した大親分のファンドマネジャー。死して残した収支決算は、果たして、プラスだったのかマイナスだったのか。

週刊新潮」2021年7月15日号「MONEY」欄の有料版では、庄司氏と石井会長の関係について詳報する。

週刊新潮 2021年7月15日号掲載

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