映画「炎のランナー」モデルとなったエリック・リデルが五輪よりも大事にした信仰(小林信也)

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 エリック・リデルは映画「炎のランナー」で主役となったスコットランド人スプリンターだ。1924年パリ五輪・陸上男子100メートルで優勝を期待されながら、レースが日曜日だったため、出場を見送った。宣教師の子として中国に生まれた敬虔なクリスチャン。安息日に競技に出ないのは当然のわきまえだった。

 映画を見た当時25歳だった私は深い衝撃を受けた。金メダルが狙える立場にいながら宗教上の理由でオリンピックのレースを棄権する。その思考回路がすぐには理解できなかった。だが同時に、金メダルより重い信念がある。そういう価値観を持つアスリートに敬意と憧憬を覚えた。

 実際にはレース日程は半年前にわかっていたため、映画と経緯は違う。リデルは予め、出場可能な400メートルの練習を重ねたという。だが、優勝候補と呼ばれるタイムではなかった。

 映画では、パリに入った後もリデルは選手団長や皇太子から半ば強制的に出場を要求される。国の名誉を担いながら個人の主張を通すのは「傲慢だ」と団長は非難した。するとリデルは毅然として言った。

「個人の信仰に立ち入ることこそ傲慢です」

 その席に、先にメダルを獲ったチームメイトが現れ、「自分に代わって、リデルに400メートルを走って欲しい」と提案する。全員が賛同し、事態は進展する。そして、リデルは400メートルで見事優勝を飾る。細部は脚色もあるにせよ、400メートルで金メダルを獲得したのはパリ五輪の歴史に刻まれた史実だ。

 数十年後、91年W杯ラグビーでもリデルと同様の選手が現れた。ニュージーランド代表(オールブラックス)のフランカーでチームの中心選手マイケル・ジョーンズだ。日曜日に行われた準々決勝、ニュージーランドはジョーンズ不在でカナダに勝ったが、またも日曜に行われた準決勝でオーストラリアに敗れた。宿敵との一戦にもジョーンズは出場しなかった。

 リデルとジョーンズの存在で、私は勝利以外のまったく別の価値に目を向けるきっかけを与えられた。

日本軍収容所に拘禁

 リデルのその後の生涯は、2016年に制作され、日本でも公開された映画「最後のランナー」に描かれている。

 大企業からのオファーを断り、リデルは五輪の翌年宣教師として中国に戻る。英語や化学、スポーツを子どもたちに教えた。太平洋戦争が始まると、中国を支配した日本軍の収容所に拘禁された。リデルの後半生は日本と深く関わっていた。

 リデルがいたウェイシン収容所跡にある記念館を実際に訪ねた王偉彬(広島修道大教授)が中国新聞に寄せた原稿にこう記されている。

〈収容された欧米人は、外へ出る自由はないが、収容所の中では信仰や文芸、教育活動などは認められ、大きな不自由はなかったという。しかし、特に43年以降の戦局激化に伴い、食糧難や医薬品の欠乏が問題となった。現地の人たちは収容所に拘禁された人々に同情を寄せ、募金を集め、青島にある中立国のスイスの施設を通して医薬品などを収容所に送ったりした。〉

 アメリカは在米日系人たちを収容所に拘束した。対して日本軍は中国で欧米人を収容所で拘禁した。戦時下で敵・味方がそれぞれ非人道的な行為や虐待を重ねた。それが戦争の悲惨さの一面だ……。

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