社会的課題を解決する二つの“まちづくり”計画――芳井敬一(大和ハウス工業代表取締役社長)【佐藤優の頂上対決】

ビジネス 週刊新潮 2021年4月29日号掲載

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 雇用が見込める物流施設や商業施設を核に、戸建て住宅、マンションと一体開発する最先端のまち「コ “Re” カラ・シティ」。半世紀前に分譲して過疎や高齢化に直面する大型住宅団地を復興させる「リブレスタウン」。大和ハウス工業は、自社の事業の組み合わせ、“まちづくり”に乗り出していた。

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佐藤 感染力の強い変異種も現れ、新型コロナウイルスの感染拡大がなかなか終息しません。今年の入社式はどうされましたか。

芳井 今年は全国73の事業所を結んでオンラインで開催しました。

佐藤 昨年は中止されたと聞きました。

芳井 はい。令和2年度の新入社員は卒業式や入社式といったセレモニーがなく、非常に曖昧な状態で社員になりました。そして入社後も会社がコロナ対策で試行錯誤していましたから、彼らについて非常に心配していたんです。

佐藤 社員たる自覚を持つ入社式がなく、最初の社内教育の機会も奪われてしまったわけですからね。

芳井 ところが蓋を開けてみると、その前の令和元年入社組よりも成果を上げている社員がいるのです。どうもいろいろな工夫をしているようです。

佐藤 それは興味深いですね。

芳井 住宅の営業を例に挙げますと、これまでは住宅展示場にお客様が訪ねて来られるところから仕事が始まりました。そこにいらっしゃるのは、住宅を買う意志のある方々です。そのお客様とお話をさせていただき、商談をまとめ、仕事を進めていました。

佐藤 確かに住宅展示場に来る人は動機がはっきりしていますから、やり易いでしょうね。

芳井 でも昨年の4月には、コロナ対策で住宅展示場を閉めました。ですから、どうやって仕事を取ってくるのか、一から考えねばならなくなったんです。

佐藤 仕事の進め方がまったく変わってしまった。

芳井 やはりリモートで、となるのですが、昨年入社の社員たちは、ネットでお客様を呼び込み、いろいろ工夫しながら交流を続け、何とか住宅の成約につなげているのです。

佐藤 新入社員はまだまっさらですから、住宅展示場がないことを前提に、柔軟に対応したんですね。

芳井 そうなんです。逆にその前に入社した社員たちは、住宅展示場も開いていないのに、どうやって家を売るのか、と戸惑ってしまい、開くのを待つような人もいました。

佐藤 そこには大きな断絶がありますね。

芳井 だから令和2年入社組より、その1年前の令和元年入社組のほうが大変なのかもしれません。いま、ここをしっかり見ていかねばならないと思っています。

佐藤 リモートで、つまりはネットで家を買う人は、どのくらいいるのですか。

芳井 コロナの前からウェブで戸建住宅を販売する「Lifegenic」という商品を作ってはいましたが、当初は、月に3万回ほどのアクセスしかありませんでした。それがこの1年は6倍以上になり、月に20万アクセスになることもありました。私自身、2千万円以上する家がパソコンで売れるとは思っていませんでしたが、すでに700棟以上売れています。嬉しい誤算です。

佐藤 値段を考えると、ものすごい数ですね。

芳井 家を買うわけですから、ネットでも間取りや設備を一つ一つ決めていかなければならない。それは面倒だしややこしいなと思っていたのですが、そのサイトを見ると、よく工夫してあります。簡単な質問に答えていくと、その人に合った家が出てくる。例えば「休日のごはんは?」という質問があり、「素材を買いに行くところから楽しんで、手の込んだ一品にチャレンジ」と「行ってみたかったお店で外食」のどちらかをクリックする。するとまた「真冬の寒さ対策、選ぶとしたらどっち?」とか「友人とお茶するなら、どっちのお店?」といった質問が出てくる。それらに答えていくと、最後にその人の趣味嗜好にあった家が出てきます。

佐藤 どういう生活をしたいかを浮き彫りにしていくわけですね。

芳井 その通りです。そうやって家を買う時代になった。これからはリモートの営業にも注力していかなければならないですね。

佐藤 ただその大元には、大和ハウス工業という看板への信頼感があります。

芳井 そうです。これまで先輩が作ってきた歴史があるからこそ、買っていただける。

佐藤 昨年の新人たちはそこをきちんと理解することが必要ですね。もし23歳のフリーランサーだったら、家を作ってメルカリやヤフオクに出したとして、1年どころか3年経っても売れないでしょう。

芳井 その点、私どもには財産がある。コロナはたいへん不幸なことですが、こうして考えてみると、さまざまなことに気が付かされるいい機会を与えてもらったと思いますね。

創業者の精神

佐藤 こうした危機には人間の本質が出るものです。私はモスクワ大使館時代に1991年8月のクーデター未遂事件や93年10月のモスクワ騒乱事件に遭遇しましたが、そこで同僚の思わぬ一面を見ました。モスクワで戦車が大砲を撃つような状況下で、普段は臆病でおとなしい大使館員がリーダーシップを発揮したり、勇ましい人が怖がって何もできなくなったりしました。

芳井 私にとっても、新入社員を含め、人物をじっくり見ることができた一年でしたね。じっくり考える人、バタバタする人、ビビる人。こうだと思っていた人が意外な言動を取ったりする。

佐藤 私の仮説では、ビビるのは、良くも悪くもセンサーシステムが発達しすぎている人です。怖いことにものすごく敏感に反応する。

芳井 実は私は、前任の大野直竹社長から「お前はビビるからちょうどいいんだ」と言われて社長になったんですよ。

佐藤 意外ですね。芳井さんは神戸製鋼のラガーマン出身の名物社長として知られています。

芳井 自分でも意外な言葉でしたが、「経営者にとって怖がることは必要だ。お前にはそれがある」と言われたのです。

佐藤 きちんと怖がることができるという意味ですね。それは危機管理につながります。我々作家の業界でも、勢いだけで書くと、後々に訴訟という形で跳ね返ってきます。

芳井 確かにビビることもあって、一昨年、中国の関連会社で200億円以上のお金がなくなったことがありました。現地の出納担当者らが不正に持ち出したのですが、これは決算に大きな影響を与える数字です。私は怖くなって、これは即日発表しなければならないと思ったんですね。

佐藤 即日では、まだ全容がはっきりしていないでしょう。

芳井 合弁会社でしたので、弊社にとって実際にどういう金額になるかは精査が必要でしたが、会社から200億円以上消えていることは明らかでしたので、その日に公表しました。私が怖かったのは、その間に株が売買されることです。発表が3日遅れれば、その3日で内実を知らない人が株を買ってしまう。

佐藤 その3日で大きく損をする人も出てくる。

芳井 そうです。創業者・石橋信夫は「スピードは最大のサービス」と言っていますが、まさにそうすべき時だったと思います。

佐藤 悪いことのあった後の決断には、その会社の特徴というか、社風が出ますね。

芳井 私どもは創業者・石橋の言葉をとても大切にしています。昭和30年(1955)の創業当初に社是が作られますが、最初の言葉は「事業を通じて人を育てること」です。二つ目は「企業の前進は先ず従業員の生活環境の確立に直結すること」、そして「商品は社会全般に貢献すること」と続きます。石橋が亡くなったあと、昨年まで会長だった樋口武男も「とにかく事業は人や」と言い続けて、いまはそれを私がつなぐ立場です。

佐藤 昨年、一昨年の新入社員の動きに注目されているところに、それを感じますね。やっぱり人間力の強い会社が生き残っていくし、伸びていくと思います。

芳井 事業についても社会貢献が基礎にあり、生きるためには何が必要かを常に考えています。例えばこのコロナ禍にあって、住宅はどういう場所になったか。住宅は帰る場所ではなく、生きていく場所に変わりました。そこで生活をし、仕事もする。ですから今回、生活空間から完全に仕切って仕事に専念できる「快適ワークプレイス」を考案したり、子供から親が仕事をしている風景が見えるセミクローズの空間として「つながりワークピット」を用意するなど、リモートワークのさまざまな提案をさせていただきました。

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