妻子を捨て、娘ほど年の離れた女性と「不倫逃避行」… それでも彼が自宅に帰ったワケ

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「どこかに行って一緒に暮らそうか」

 愛し合うもの同士は同じことを考えるのだろうか。マミさんが、「いつもあなたと一緒にいたい」と泣いたことがあった。

「マミ、どこかに行って一緒に暮らそうか」

 口からそんな言葉が飛び出して、マサアキさん自身がびっくりしたという。言ってから、実はそれを望んでいたのだとも気づいた。

「急に焦燥感が出てきて、今すぐどこかへ行こうと言ったんです。土曜日の夜でしたね。ちょうど車で彼女のところに来ていたので。彼女は『旅じゃないのね、もう帰ってこないのね』と言いました。帰らない。はっきり自分の意志でそう言ったのを覚えています」

 彼女は身の回りのものをキャリーケースに詰め始めた。そんなのいいよ、どこかで買えばいい。そう言って制して車に乗った。

「休み休み行ったんですが、未明には大阪に着きました。もっと遠くへ行きたいと思った。仮眠をとって広島のほうまで行きました」

 日曜日だから、彼女は仕事に支障がない。だが彼には家庭があった。

「本当に家庭を捨てるの? と彼女が聞きました。僕は捨てると言った。わかったと彼女はひと言だけ」

 夜、小さなホテルに泊まった。自分で自分を追いつめていくのがわかっていたが、彼はすべてがどうでもよくなっていた。

「結局、何日そこにいたのかなあ。彼女の着替えを買ったり、ふたりでなぜかカラオケに行ったり。おいしいものを食べて、毎日ご機嫌に酔っ払って、でも腹の中には重いものを抱えて……。僕は携帯の電源を切っていました。彼女は僕の目の前で、携帯を海に投げ捨てたんです。さっぱりしたって笑っていました」

 3、4日たったころ、彼女がふと言った。

「このまま死んでもいい」

「僕もそう思っていた」

 道行きが心中へと変わりそうになったとき、彼女はつぶやいた。

「あなたはお母さんに電話したほうがいい。声を聞きたいでしょ」

 言われるがままに、彼は母親に電話をかけた。

「ああ、生きていてよかった、というのが母の第一声だったんです。それでふと我に返った。マミは僕の様子をじっと見ていました。僕からはあまりしゃべらなかったけど、母はとにかく一度帰っておいでと。工場はつぶしてもいい、あんたの好きなようにすればいいとも言ってました。電話を切ると彼女が言ったんです。『帰ろ』と」

 マミさんは彼の覚悟を試したのか、あるいは彼と家族、特に親から引き離してはいけないと思ったのか。いずれにしても、彼はマミさんのおかげで生還した。

「あのときどんどん死神に魅入られていたような気がします。ふっと日常を捨てたいと思ったところから、よろよろと落ちていく感じが自分の中にあった。マミの本音はついにわからないままなんです。車で東京に戻って、高速を降りた瞬間、彼女は『ここから電車で行くわ』と車を降りてしまった。そしてそれきり連絡先がわからなくなってしまったんです。仕事は続けているみたいなんですが、彼女から連絡が来ないのに僕からはできなくて」

 帰宅した彼を、妻はじっと見つめていた。ごめんと謝ると、「子どもたちが心配してる。お母さんにも電話してあげて」とだけ言った。その目には喜びも怒りもなかった。

「従業員はがんばってくれていました。本当に申し訳なくて。消えてなくなりたいほど恥ずかしかった。その日、従業員に『社長が帰ってきたお祝い』としてさんざん奢らされました。でもそれで翌日からは何もなかったように仕事をしてくれて」

 誰もマサアキさんの出奔の詳細を聞いてこないと気づいたのは、それからしばらくたってからだ。

「それとなく古参の番頭さんに聞いたら、母が『おそらく誰かと一緒にいると思う。でもことを荒立てないで』と言ったそうです。ではなぜ妻が何も言わないのか。それがずっと不気味なんですが、その謎はまだ解けていません」

 妻は本当に彼に対して関心がないのかもしれない。今も事務的なこと以外はほとんど会話がないままだ。

「子どもを通して話している感じですね。この先、妻とどうなるのかはまったくわからないし、今は考えないでおこうと思っています」

 仕事に戻ったマサアキさんは、10年前に工場を継いだときと同じように新鮮な気持ちで仕事に取り組んでいるという。だが、心の底では、マミさんのことを忘れたわけではないようだ。彼女からもらったキーホルダーを彼は今も大事に持っている。

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮取材班編集

2021年3月24日掲載

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