「田口麗斗」ヤクルト移籍で思い出す巨人“2人の大投手”がリベンジを果たすまで

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 読売ジャイアンツ・田口麗斗投手と東京ヤクルトスワローズ・廣岡大志内野手との交換トレードは球界を大いにざわつかせた。両球団間の交換トレードは約44年ぶり。同一リーグ間での交換トレードがいかに異例かを物語るものであった。

 数少ない同一リーグ間の交換トレード、特に読売が絡んだケースで注目したい事例がある。読売から放出される形となり、結果的に古巣を見返す形となったパターンである。“請われたから行く”“望まれて移籍する”という現在のような風潮ではなく、トレードに対して負のイメージがつきまとっていた時代に行われ、ある意味劇的な結果となった事例2つをご紹介したい。

 1人目は小林繁だ。1978年のオフに起こった江川事件。その渦中に巻き込まれる形となった小林は、新人・江川卓との交換トレードで読売から阪神タイガースへと移籍することとなった。この瞬間、小林はまさに“悲劇の投手”となったのである。

 このとき、江川の交換相手として、投手なら左腕エースの新浦壽夫や若手の成長株であった西本聖、野手なら高田繁、淡口憲治らが候補者として挙げられていた。その中から選ばれたのが小林だった。成績を見ればそれも納得であった。小林は76、77年と2年連続で18勝を挙げ、2年連続チームのリーグ優勝に貢献。防御率も2・99と2・92と抜群の安定感を誇っていた。特に77年は沢村賞にベストナイン、最優秀投手を受賞するなど、まさに“エース級”の活躍ぶり。さすがに78年は成績は落としたものの、13勝をマーク。“怪物”江川卓の交換相手としてはこれ以上ない投手だったのだ。

 このとき、読売への入団をごり押しした江川は、国民的悪役に成り下がっていた。対して小林はトレードを承諾したことで、一気に男を上げた。モデルのような容姿で、もともと女性人気は高かったが、入団会見での爽やかな笑顔と受け答えもあり、人気が爆発。一気に阪神ファンをとりこにしたのであった。

 迎えた阪神での1シーズン目。小林は開幕前に当時の阪神監督だったドン・ブレイザーに、ジャイアンツ戦に合わせて自分のローテーションを組むよう直訴していた。注目の初対戦は、開幕から間もない4月10日となった。

 縦縞のユニフォームを身にまとった小林は、本拠地甲子園球場でのオープニングゲームとなる対読売ジャイアンツ1回戦で先発投手としてマウンドに上がった。

 だが、この試合、決して調子が良かったわけではなかった。現に8回1死まで投げ、12本のヒットを浴びている。それでも再三のピンチを凌ぎ切り、4-3で競り勝った。もちろん小林にとっては記念すべき、対読売戦初登板初先発での初勝利である。

 そしてここから快進撃が始まる。この年、古巣の読売に対して負けなしの8連勝を飾り、アンチ読売ファンの喝采を一身に集めたのだ。最終的には22勝9敗1セーブ、防御率2・89という驚異的な成績を残すこととなった。当然、自身初となる最多勝と2年ぶりの沢村賞を獲得(複数球団での獲得は史上2人目)、ベストナイン、最優秀投手にも選ばれている。

 対する江川は開幕からしばらく謹慎期間があったこともあり、9勝10敗の負け越しでルーキーイヤーを終えることに。ちなみに小林の“奮投”により、この年の読売は前年の2位から5位に沈んでいる。まさに古巣を見返した執念の投球であった。

西本聖

 2人目は、先に登場した江川卓と読売のエースの座を競い合った西本聖である。74年にドラフト外で入団した西本は、入団5年目の79年に8勝を挙げ、先発ローテーション投手として定着。以降、80年から6年連続二ケタ勝利をマークし、読売投手陣の屋台骨を支えることになる。なかでも81年は18勝を挙げ、自身初となる沢村賞と日本シリーズMVPにも輝いたほどの活躍ぶりだった。

 そんな西本と80年から87年まで交互に開幕投手を務めていたのが江川である。互いにシーズンの勝利数を競うなど、完全なライバル関係だったのだ。

 ところが西本に逆風が吹き始める。86年は7勝8敗と負け越してしまい、連続二ケタ勝利が途切れてしまったのである。これは、当時の投手コーチだった皆川睦雄との確執(球団批判で罰金200万円が科せられている)がその原因とされた。さらに、江川が87年に引退。ライバルを失ったことで、88年はわずか4勝に終わってしまう。当時のチームは桑田真澄や斎藤雅樹、槙原寛己ら20代前半から中盤の若く勢いのある投手の台頭もあり、このとき32歳の西本の居場所はなくなりつつあった。折しも同年オフに2度目の監督就任となった藤田元司は世代交代に邁進し、チームは新しく生まれ変わろうとしていたのである。

 ところが、そんな西本に熱い視線を送り続けている人物がいた。中日ドラゴンズを率いる“闘将”星野仙一監督である。気持ちを前面に押し出し、内角をえぐるシュートで打者を打ち取っていく。そんな気迫あふれるブレースタイルを高く評価していたのだ。87年の開幕戦で中日と対戦した際には、パ・リーグで3度三冠王に輝いた4番・落合博満に対して、臆することなく全打席全球シュート勝負を挑んだ。結果は4打数1安打。センター前ヒット以外は3本の内野ゴロに抑えたのである。星野はこのときの西本の投球を見て、いつか獲得しようと決意したというのだ。西本はもう終わったという声すらあったが、環境を変えればまだまだやれるとも踏んでいた。こうしてわずか4勝に終わった88年オフ、西本は加茂川重治とともに中日にトレード移籍することとなる。交換相手は捕手の中尾孝義。かつてリーグMVPに輝いた名捕手をライバル球団に出してまで獲得したのである。

 このトレードで西本は、すでに引退していたライバル江川不在の心の空白を“古巣を見返す”という新たな目標で埋めることができたのだろう。当時、“ケンカ野球”といわれた星野中日のチームカラーに西本は合っていたこともある。翌89年、その読売から5勝を挙げるなど、20勝6敗でキャリア初の20勝投手に輝いたのだ。念願だった最多勝と最高勝率(勝率7割6分9厘)のタイトル、そしてカムバック賞も獲得した。前年4勝に終わった32歳のベテラン投手が、トレードをきっかけに誰もが思わなかった劇的な復活を遂げたのであった。

 小林繁と西本聖、すでに古巣でエース級の活躍をみせていたからこそ、移籍先でも活躍ができたのだろう。今回東京ヤクルトに移籍した田口麗斗は、この2人の先輩投手のように活躍することができるのか、注目である。

上杉純也

デイリー新潮取材班編集

2021年3月19日掲載

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