水素爆発で「生きて帰れないかと…」 福島第一原発元所員が明かす「事故当日、何が起きたのか」 #あれから私は

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仮説トイレに“積もって”…

 当時の食事が深く印象に残る。

「あの頃はひたすら毎日カロリーメイトを食べていましたね。もう一生分食べたかなと思うくらい。あのパッケージを見るとあの頃を思い出しますね」

 さらに辛かったのは、意外な“場所”だった。

「トイレです。最初は免震重要棟の外に仮設トイレを用意してもらっていたのですが、1号機が爆発してからは外に出るのも危険なので、免震重要棟にある機械室に仮設トイレが造られました。これが精神的に辛い。水で流せないので、“積もって”しまうんです。トイレに行く度にゲンナリし、実際便秘になった作業員もいたほどでした」

 当時、現場を外れてからもしばらくの間は注水作業の夢を見ていた、と続ける。

「夜、真っ暗になったプラントを重装備に身を包み懐中電灯だけで走ったのは思い返すと本当に怖かったです。震災後の春に福島第一原発を離れた後も安堵することなどありません。気の抜けない現場に後ろ髪をひかれる思いでしたよ」

 今でも現場の所員とは交流があるという。

「吉田昌郎所長はざっくばらんで頼りがいのある人でした。上に直言してはばからない素晴らしいリーダーです。昨年はコロナで中止となりましたが、毎年当時の仲間と集まって飲みますよ。今でも福島第一の廃炉に向けて頑張っている仲間がいます。その努力は痛いほどわかる」

 数多の人が「日本は終わった」と感じた原発事故。作業に従事した人々の記憶もまた、色褪せることはない。

週刊新潮 2021年3月18日号掲載

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