【原発事故10年】日本人はなぜ取り憑かれたように原発を推進したのか 機密ファイルが明らかにする米国の思惑

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日本を好きなように操れるという奢り

 ドイツ生まれのキッシンジャーは、戦時中、ナチスを逃れて家族と渡米し、後にハーバード大学で国際問題を教えた。そして、ニクソン政権でホワイトハウス入りするが、その哲学は徹底した現実主義、リンケージ政策だ。一見、外交と関係ないもの、食料やエネルギー問題を絡めて相手を揺さぶり、主導権を奪ってしまう。

 そして、彼が見つけた対日外交の新たなカード、それが原発だった。

 71年2月22日、キッシンジャーはニクソン大統領に「原子力の平和利用政策の再検討」と題したメモを送る。タイトルこそ大人しいが、その中身は、日本の電力業界にとって重大な意味を含んでいた。そのメモから引用する。

「米国の原子力の平和利用政策は、54年のアイゼンハワー政権下、アトムズ・フォー・ピース計画以来見直されず、この間に種々の問題が浮上しました。世界的に原発用の濃縮ウランの需要が増加する中、唯一の大供給源のわが国は生産能力を増強していません。自分は、国家安全保障会議の委員会で、以下への対処を命じました。【1】他国へ濃縮ウラン供給を続けるべきかどうか、【2】そうであれば、どのような条件を付けるべきか」

 そもそも原発を動かすには核燃料を使うが、単に天然ウランを入れただけでは用をなさない。そこに含まれる「ウラン235」の濃度を高めた濃縮ウランが必要で、米国はその最大の供給国だ。それは外交交渉のカードになるのを意味した。

 実際、その3日前、キッシンジャーは、CIAや国務省に原発と外交について検討するよう命じている。そして彼らは早速、この政策を採用したようだ。その年の暮れの12月30日、駐日米国大使館から、ワシントンの国務省にある提案が送られた。

「サンクレメントで田中角栄通産大臣、水田三喜男大蔵大臣と、米国製原発の追加購入を協議するよう進言する。現在、日本は1980年までに2万7000メガワットという野心的な原発計画を進めている」

「円高や規制緩和にかかわらず貿易不均衡が続き、田中、水田と原発購入について話し合うのは極めて適切である」

 その翌月、佐藤総理は訪米して、カリフォルニア州サンクレメントで日米首脳会談を行う。それに同行する田中と水田に、原発をもっと買うよう促せという。日本の貿易黒字が膨張する中、外貨を吐き出させるにはうってつけだ。また原発を買えば濃縮ウランも買わざるを得ず、米国の立場はますます高まる。

 そして大使館は、米原発メーカーのGEやウェスティング・ハウスと協議し、働きかけは今が最適と判断したという。まさに官民一体となった売り込み、外交と原発を結ぶリンケージ政策だった。

 さらに71年4月、キッシンジャーが出したNSSM122号の中身が、また興味深い。NSSMとは国家安全保障研究メモランダムの略で、米外交の指針を出し、政府で共有する。この号のタイトルはずばり「対日政策」、ファイルに、ホワイトハウスの会議でキッシンジャーが発した質問が残っていた。

「今後の日本はどこへ向かうか」
「われわれは、どのような日本を望むのか」
「どうやって、そこへ彼らを向かわせるか」
「そのためのコストは」

 まるで他国を好きなように操れるという奢りすら伝わるが、それに対する国務省の回答がある。

「この問いにはまず、どのようなアジアが米国の利益に合致するかを決めねばならない。軍拡競争や戦争に至る緊張がなく、一国に支配されないアジア、それが米国の国益と想定すれば、日本を現状のまま維持するのが最も望ましい」

 そして今後も途上国を支援させ、近隣各国、特に中国が警戒する軍事力は持たせず、自前の核兵器は安全保障に寄与しない立場を遵守させるべき、という。

 これらホワイトハウスや国務省のファイルから、当時の米国政府首脳の考えを代弁してみると、こうなる。

“洪水のような日本からの輸出と貿易不均衡は、もはや容認できない。それを解消するのに高価な原発、米国製の軽水炉はうってつけだ。中東情勢に怯える日本人も飛びつくだろう。また、それを動かすには濃縮ウランがいるが、幸い、うちはその最大の供給国だ。これは即ち、いざとなれば生殺与奪を握れるのを意味する。だが、彼らが色気を出して核兵器を持つのは断じて許さん。そうなればアジアで日本の力が増し、わが国益を脅かしてしまう。”

 こう考えると、冒頭のDIA報告の持つ意味合いが理解できる。国防総省の情報機関がなぜ、建設中の福島第一原発に注目したか。それは日本の核兵器保有の阻止だったのだ。

 実際、この報告では80年代半ばに日本の原発から大量のプルトニウムが出るとし、「核兵器開発の展望」という項目もある。ところが、その主要部分は黒塗りにされ、詳しい内容は機密扱いのままであった。

 71年3月26日、今からちょうど半世紀前のこの日、完成した福島第一原発の1号機は営業運転を始めた。午後2時過ぎ、GEの関係者が「フクシマ・ユニットワン・ターンキー」と刻印した、記念の銀色の鍵を発電所長に手渡す。その瞬間、中央操作室にいた全員から拍手と歓声が沸き上がった。

 4年前の着工以来、GEはつきっきりで建設作業を見守り、1号機の運転員教育も引き受けた。また核燃料のウランの調達から濃縮、加工まで一切をGEが担い、まさに至れり尽くせりのバックアップだった。もちろん、東京電力の人間は、ワシントンで国際政治のどんな力学が働いていたかを知る由もない。

 そして福島の1号機が誕生した頃、遠い中東の地で、世界を揺るがす事件の胎動が静かに響き始めていた。長年、欧米の国際石油資本に蹂躙されたアラブ、彼らが蜂起の狼煙を上げたのだ。それはキッシンジャーの読みを超える混乱を生み、東京電力をパニックにし、熱に浮かれた原発推進に追い込んでしまう。第四次中東戦争と未曽有の石油危機である。(続く)

徳本栄一郎(とくもと・えいいちろう)
英国ロイター通信特派員を経て、ジャーナリストとして活躍。国際政治・経済を主なテーマに取材活動を続けている。ノンフィクションの著書に『エンペラー・ファイル』(文藝春秋)、『田中角栄の悲劇』(光文社)、『1945 日本占領』(新潮社)、小説に『臨界』(新潮社)等がある。

デイリー新潮取材班編集

2021年3月10日掲載

2021年3月10日

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