【原発事故10年】日本人はなぜ取り憑かれたように原発を推進したのか 機密ファイルが明らかにする米国の思惑

国内 社会 2021年3月10日掲載

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 今からちょうど10年前の2011年3月、世界に衝撃を与えた福島第一原子力発電所の事故。その3基の原子炉には、今も溶け落ちた核燃料が、強い放射線を放ちながら溜まっている。建屋はひしゃげた鉄骨がむき出しで、周りは大量の汚染水のタンクが墓標のように並ぶ。かつて最先端の科学技術で作られた原発、それが廃墟のように聳(そび)える姿は、何とも言えないわびしさを感じさせた。(ジャーナリスト・徳本栄一郎)

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 この福島第一原発に触れた1通の英文報告書がある。「機密」とタイプされたファイルの日付は1974年9月、海岸沿いに並ぶ真新しい原子炉の写真、その下に「FUKUSHIMA」のキャプションがある。と言っても、これは東京電力が作ったパンフレットではない。

 作成したのは米国のDIA(米国防情報局)、国防総省の情報機関である。DIAとは全世界で軍事のインテリジェンスを集める、CIA(米中央情報局)と並ぶエリート組織だ。約半世紀前、彼らが神経を尖らせていたのが、この誕生間もない福島第一原発だった。

 過去10年、東京電力は世間の指弾を受け続けてきた。ある者は利益偏重と安全対策の軽視を責め、ある者は原子力ムラの閉鎖性を、またある者は官と民の癒着を指摘する。

 たしかに彼らが地震と津波に有効な手立てをせず、史上最悪レベルのメルトダウンを起こしたのは間違いない。長年の奢り、打算、放漫の産物だが、これだけでは余りに短絡的過ぎる。

 そもそも東京電力、いや日本人はなぜ、取り憑かれたように原発を推進したのか。それにより恩恵を受けたのは誰で、事故の真の責任は誰にあるのか。原発を作った側と同様、それを与え、駆り立てた側も追及されるべきでは。

 こう考えて、海外のアーカイブを回り、半世紀以上に遡って東京電力に関する膨大なファイルを集めた。その結果を、小説という形でまとめたのが拙著「臨界」(新潮社)だった。

 そこには日本人に原発を与えて外交の武器にした米国、新たな市場を狙った欧米の原発メーカー、原油の禁輸と値上げで日本中をパニックにしたアラブ、こうした思惑が入り乱れていた。それは、まるで加害者がじつは被害者で、その逆もあり、関わった人間全てが共犯の「オリエント急行殺人事件」であった。

 そのクライマックスが福島のメルトダウンで、そこに至る道は1967年、ホワイトハウスに届いた報告から始まっていた。

「電力の鬼」が怯えたわけ

 この年の9月13日、ジョンソン政権の国家安全保障担当大統領補佐官、ウォルト・ロストウにある書簡が送られた。差出人はニューヨークの実業家、ロバート・アンダーソン、かつて財務長官を務めて豊富な海外人脈を誇る。

 前月に訪日して佐藤栄作総理や要人と会談した報告だが、その中に松永安左エ門という名前があった。東京で総理から、ぜひ彼に会ってくれと頼まれたという。

 戦前から電力業界で活躍した松永は、終戦直後に9電力会社の再編で旗振り役を演じた。すでに90歳を超えて第一線を退いたが、隠然たる力を持つ財界の大御所だ。その彼の目下の懸念は、火力発電用の原油の確保だという。アンダーソンの書簡から引用する。

「松永らの最大の関心事は火力発電用の油だが、国内の施設にはたった20日分しか備蓄がないという。もし中東からの供給に支障が出れば、たちまち電力不足の危機に陥る」

「中東からのタンカーはマラッカ海峡を通過するが、ここで船舶が沈没すればインドネシアに迂回せねばならない。だが、そこは水深が57フィートしかなく大型タンカーが通れないという」

 独特の風貌と鋭い眼光で「電力の鬼」と呼ばれた松永が、まるで子供のように怯えている。理由は、その数ヵ月前に起きた中東戦争だった。

 6月5日、イスラエル軍がエジプト、シリアなどに奇襲攻撃をかけ、第三次中東戦争が始まった。これにイスラエルは圧勝して、シナイ半島やゴラン高原を占領、戦闘は6日間で終わるが、日本の電力会社は文字通り震え上がった。

 すでに時代は戦後の復興から高度経済成長に入っていた。電力需要はうなぎのぼりに増え、それに比例して伸びたのが火力発電用原油の輸入である。66年度の消費量は1319万キロリットルで、しかも、その9割が中東からだった。もし禁輸でもされたら即、発電が止まってしまう。

 幸い、この時は目立った影響もなく杞憂に終わったが、佐藤総理や松永、東京電力の心胆を寒からしめたのは間違いない。再び中東で戦火が起きても、安心なエネルギーが至急必要だ。

 そして、アンダーソンの報告がホワイトハウスに届いて半月後の9月29日、東京から220キロ離れた太平洋岸で、ある巨大工事が始まった。福島県の大熊町と双葉町に跨がり、波飛沫を受けて聳える断崖、それを重機で削り取るのだ。そこに広大な敷地を作り、荒海に突き出る防波堤と合わせ、自然の景観を一変させるプロジェクトだった。

 政府に出された申請書には「原子炉設置許可」「軽水冷却型」、責任者の欄は東京電力の木川田一隆社長とある。それから44年後に津波でメルトダウンを起こす福島第一原発、その1号機である。

 そして、この頃、ワシントンでこうした動きを虎視眈々と見守っている男がいた。小太りで分厚い眼鏡の風貌は、どこかユーモラスだが、奥の目に賢さと意志の強さ、したたかさが入り混じっていた。

 国ぐるみで原発に舵を切った日本、それを米国の利益のため使わない手はない。原発とウランを武器に彼らの手綱を握る、そのためにベストな戦略は何か。男の名前はニクソン政権の国家安全保障担当大統領補佐官、ヘンリー・キッシンジャーであった。

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