「砂を食えるか?」 マラソン「瀬古利彦」を育てた恩師の衝撃的な言葉(小林信也)

  • ブックマーク

Advertisement

恩師に背いたこと

 モスクワを失った瀬古と中村は、「モスクワに出ていれば金メダル確実だった」という事実を自分と世間に証明したいと強く願った。その年12月の福岡国際マラソンでモスクワ五輪金メダルのチェルピンスキー(東ドイツ)を破って優勝。さらに翌81年春、世界最古の歴史を誇るボストンマラソンに挑んだ。78年から80年まではアメリカのビル・ロジャースが3連覇していた。瀬古は79年に初挑戦し、“心臓破りの丘”でビルに突き放され、2位に終わっていた。2度目の対決では逆に終盤、その丘で瀬古がビルを振り切り優勝した。

 絶対服従ともいえる師弟関係を通して瀬古は世界一のランナーになった。中村に反発し、逃げようとしたことはないかと訊くと、

「ついて行くと、自分と約束したのですから、逃げるわけにいきませんでした」

 清々しい眼差しで瀬古は言った。さらに訊ねた。中村監督に背いたことは? 笑いながら、瀬古が答えた。

「一度だけ。中村監督に勧められたお見合いだけはお断りしました」

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。「ナンバー」編集部等を経て独立。『長島茂雄 夢をかなえたホームラン』『高校野球が危ない!』など著書多数。

週刊新潮 2021年2月18日号掲載

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。