大麻取締法の改正論議ですっぽり抜け落ちている「栽培農家」の視点

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一年更新で免許を得た栽培農家の「大麻取扱者」は全国でわずか約30数人に

第二条 この法律で「大麻取扱者」とは、大麻栽培者及び大麻研究者をいう。
2 この法律で「大麻栽培者」とは、都道府県知事の免許を受けて、繊維若しくは種子を採取する目的で、大麻草を栽培する者をいう。
3 この法律で「大麻研究者」とは、都道府県知事の免許を受けて、大麻を研究する目的で大麻草を栽培し、又は大麻を使用する者をいう。
第三条 大麻取扱者でなければ大麻を所持し、栽培し、譲り受け、譲り渡し、又は研究のため使用してはならない。
2 この法律の規定により大麻を所持することができる者は、大麻をその所持する目的以外の目的に使用してはならない。

 ここで言う大麻栽培者というのは、すなわち栽培農家のことであり、第一条で除外されている茎の繊維や種子を合法的に採取することができる。葉や花については悪用されないように畑で焼却するのが一般的だ。後述するように、国産大麻の葉や花は薬理成分が少ないので実際には悪用はできないのだが。

「大麻取扱者」になるには、別の条文に書かれているが、都道府県に申請して審査を受け、知事から免許をもらう。免許は一年更新だ。この審査については後述するが、都道府県によって基準がまちまちであり、厚生労働省による都道府県への厳しい指導もあって、実際にはいくつもの条件をクリアしないと免許はもらえない。当然だが、自宅のベランダなどで勝手に栽培すると、鑑賞目的であっても違法栽培として摘発される。大麻研究者とは読んで字のごとく大学や研究機関で研究している人たちで、これにも免許が要る。

 大麻取締法制定当時、国内にいた栽培免許者は約26,000人。昭和29年に37,300人に増えたが、現在は34人程度に減っており、後継者不足もあってさらに減っていく可能性が高い。全国でももっとも栽培が盛んな鹿沼市を中心とする栃木県でも、種子専用栽培農家を除く11人のうち2人が今年、免許更新を申請しなかった。栽培面積は昭和27年の約5000ヘクタールをピークに、現在は8ヘクタール以下にまで減った。

大麻取締法制定は占領下で違法栽培を禁止し大麻栽培農家を守るためだった

 通常は法律の「総則」の冒頭に制定の「目的」が書かれているのが普通だ。例えば覚醒剤取締法であれば、第一条に「この法律は、覚醒剤の濫用による保健衛生上の危害を防止するため、覚醒剤及び覚醒剤原料の輸入、輸出、所持、製造、譲渡、譲受及び使用に関して必要な取締りを行うことを目的とする」とはっきりと書かれている。ところが、なぜか大麻取締法にはこれが書かれていない。

 終戦後、占領政策を進めたGHQは大麻草の栽培を全面禁止にしたが、栽培農家の窮状を背に当時の農林省や厚生省がGHQと折衝を続け、これを押し返す形で部分的に解禁が認められた。それでもGHQの大麻に対する厳しい姿勢は変わらず、日本側に取り締まりの強化を迫った。その結果として昭和23年(1948)に「大麻取締法」が制定された。都道府県知事による免許制にしてGHQによる圧力をかわすことで、2万数千軒あった栽培農家を守ろうという狙いがあった。この法律に「目的」が書かれていないのは、そうした複雑な事情も背景にあったと思われる。法律の具体的な内容を知らないと、覚醒剤取締法に似た取締まりの為だけの法律と思ってしまうかもしれないが、「免許を取得した栽培農家や研究者以外の者が大麻を栽培したり所持した場合には罰する」という趣旨の法律なのである。

 日本で栽培される大麻草は、当時世界各地で乱用されていたインド大麻とは異なり、幻覚作用を引き起こすような強い薬理成分が含まれていないばかりか、そもそも大麻を乾燥させて吸うなどという嗜好自体が日本人にはなかった。それでもGHQは駐留する米軍兵士の間で海外から持ち込まれたさまざまな麻薬による汚染が広がりつつあったこともあり、日本の大麻草を徹底して敵視した。

 当時、法制定に関わった元内閣法制局長官の林修三氏は後にこう語っている。「占領軍当局の指示で、大麻の栽培を制限するための法律を作れといわれたときは、私どもは、正直なところ異様な感じを受けたのである。先方は、黒人の兵隊などが大麻から作った麻薬を好むので、ということであったが、私どもは、なにかのまちがいではないかとすら思ったものである」(「時の法令 530号」(1965年4月)

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