「デイサービス」はありがたかったのだけど──在宅で妻を介護するということ(第19回)

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初めてのデイサービス

 デイサービスデビューは、コロナ第2波がピークを過ぎ、多くの人が収束も近いと感じ始めた9月初旬のことだった。その日の朝、送迎のマイクロバスを待ちながら、私は子どもを初めて幼稚園に送り出す心境になっていた。

 心配していたのは、「車中で吐いて迷惑をかけないだろうか」「向こうで痒み発作が起きたら」「環境の変化にパニックを起こさないか」の3点。私も付き添いで同行したかったが、コロナ感染予防の名目で却下されてしまった。

 お世話になるデイサービスは近場の特別養護老人ホームの1階にあり、半年前に契約を済ませていた。デイサービスがどんなところか、私はよく取材するので知っている。

 ただ、施設により当然違いがある。そこは半日コースがなく、最初から1日フルで預けることも気になっていた。

 朝8時半、マイクロバスがマンションまで迎えに来た。係員が6階まで迎えに来てくれ、車いすに乗せて待機していた女房をそのままエレベーターに乗せ階下へ。

 バスには、白髪の男性先客が2人。見た目は80代で、目立った障害はなさそう。スタッフが女房を車いすごとベルトで固定するのを、つまらなそうに見ている。

「何かが違う……」

 この日を楽しみにしていたのに、私の中にははや後悔に似た気持ちが湧いてきた。

 部屋に戻ると、主のいないベッドがやけに大きく見えた。そういえば、搬入された日以来、この「自動寝返り支援ベッド」にゆっくり寝たことがなかった。大の字に寝転がり、寝心地を確かめてみる。決して悪くない。次に、リモコンで上下させたり、背上げしてラクな角度を探したりしてみた。

 女房の視点で天井を見ると、目に留まるのは丸い蛍光灯とガス報知器だけ。後は白い壁だ。退屈に違いない。天井に超薄型のディスプレイを設置してレンタルビデオを流せないか、いやプレゼンに使うプロジェクターがあればできるかなどと、いろんなことを考えた。

「デイサービスは当人のためというより、家族を一時的に介護の労苦から解放するためにある」と聞いたことがある。それを“レスパイトケア”という。

 今がまさにその瞬間だ。

 つい最近まで、幸いなことに私はレスパイトの必要性を感じなかった。強がりではない。月に2~3度、取材や打ち合わせで東京に出る。気が向けば、帰りに一人居酒屋の暖簾をくぐる。それで十分な息抜きになっていた。

 ところが最近、女房が頻繁に痒みを訴えるようになって状況が変わった。その都度呼ばれて背中や脚を掻いてやるのはかなり面倒だ。それだけでなく、痒がっているのを見ているだけで、ストレスが溜まってくるのを感じていたのだ。

 あと半日は完全に私ひとり。奪われる時間は皆無だと思うと、独身時代に戻ったような解放感が湧いてくるではないか。バスを見送ったときの切なさはどこへやら、体重が2~3キロ軽くなったような感覚に驚いた。

「そうか、これがレスパイトか……。やっぱりどこかで自分を抑えていたんだな」と、デイサービスの恩恵を初日で実感した次第。気がつくと、そのまま小1時間ほど朝寝をしてしまった。

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