「デイサービス」はありがたかったのだけど──在宅で妻を介護するということ(第19回)

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帰って来た女房の様子がおかしい

「全く問題なかったですよ。寝てしまうこともなかったし。皆さんと一緒に輪投げを楽しまれました」

 夕方5時半、デイのスタッフに車いすを押されて女房が帰って来た。表情は朝方と変わらない。輪投げをしたと聞いて正直驚いた。写真を撮ってくれていて、確かに普通に投げている様子。「かわいい子には旅をさせよ」という。そんな気持ちだった。

 異変に気付いたのは、疲れたろうとベッドに寝かせて10分後。トンチンカンなことを言い始めたのである。以下、女房とのリアルやりとりである。

妻 「今、どのあたり。もう菊名を過ぎたかしらね」
私 「……(何のことか全く分からない。確かに結婚したばかりのころ、横浜に暮らしてはいたが)」
妻 「風が入って寒いのよ。後ろの窓閉めてくれない」
私 「はぁ……? (まだ送迎バスに乗っている感覚だと分かり)ここは家だよ。もう、とっくに着いてるよ」
妻 「ウソ、まだ揺れてるじゃない。とにかく寒いから後ろの窓締めて」
私 「バカ言うな。ベッドを乗せて走るクルマがどこにある。よく見ろ、ここは家だろ」
妻 「違うよ、トラックの中じゃない。ああ、寒い、寒いよう~」

 季節は9月に入ったばかりで、外気は30度ある。なのにガタガタ震えている。こうなるともう言うとおりにするほかない。私は押し入れから毛布と掛け布団を引っ張り出し、薄い夏掛け布団の上にかけた。

 それでも、「早く暖房をつけて」「パジャマじゃ寒いからコートを着せて」と、要求はエスカレートするばかり。「そう感じるだけで本当はめちゃくちゃ暑いんだぞ」と、いくら言っても聞く耳を持たない。

 私も次第に腹が立ってきて、そこまですることはないのにあえて言われる通りにした。冷房を切り暖房の強にセット。洋服ダンスから真冬に着る分厚いコートを引っ張り出し、パジャマの上から無理やり着せ、これでもかと襟元を毛布でぐるぐる巻きにしてやった。

 真夏のガマン大会のような状況のまま、15分ほどいただろうか。女房が異常だとして、それを真に受けて意地になる私はもっとおかしい。コートを着せるとき、もう情けなくて、悔しくて、思わず彼女の頬を平手ではたいてしまった。

 それだけで終わらなかった。「寒い」といった舌の根が乾かぬうちに、今度は「暑い、冷房入れて」と言い出した。体温調節機能がいかれてしまったようだ。布団と毛布をはがしパジャマ一枚にする。ベッドのまわりに布団やコートの山ができた。

 この「寒い」「暑い」は最終的に「痒い」につながり、その晩はかなり長時間背中や足を掻いてやる羽目になった。女房が疲れて寝入ったのは明け方の3時近く。初めてのデイサービスはとんでもない結末になってしまったのである。

 数日後、この日の顛末を看護師さんに話した。別段驚くふうもなかった。「せん妄(幻覚・幻聴などが発現し、著しく情緒不安定になる)ですね。環境が大きく変わることで、認知症の人などに表れることがままあります」とのこと。

 平気な顔をしてバスに乗り、スタッフに気を使って輪投げに興じるふりをしたり、彼女なりに精一杯頑張ったんだろうなと思うと無性にいじらしくなってきた。デイサービスデビューはやはり時期尚早だったようだ。これに懲りて、以来一度も利用していない。車いすで近所を散歩できるようになってからにしようと思った。

平尾俊郎:1952(昭和27)年横浜市生まれ。明治大学卒業。企業広報誌等の編集を経てフリーライターとして独立。著書に『二十年後 くらしの未来図』ほか。

2021年2月18日掲載

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