単身赴任先での不倫がバレた転勤夫 東京に戻った今もアパートで孤独な一人暮らし

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10年に亘る単身赴任から帰宅、家には居場所がなくて

 単身赴任は、夫婦の危機が起こり得るひとつの要因だ。仕事のためだからやむを得ず単身赴任に踏み切った夫、夫のいないことに慣れてしまう妻。夫が家に戻ったときにはすでに居場所がなくなっている。そんな構図がある。そこに別の女性との恋愛が絡んできたら……。

 首都圏に住むコウタロウさん(仮名=以下同・52歳)は現在、「オレの居場所はどこなんだ」と思いながら日々を過ごしていると苦笑した。

 30歳のとき、仕事がらみの交流会で知り合った2歳年下のマキさんと結婚。現在、大学生の長男と高校生の長女がいる。

「もともと転勤の多い仕事ではあるんです。妻もそれをわかっていたから、結婚してからしばらくは家族で引っ越していました。ただ、子どもが小学校に入るようになるとそうもいかない。そうなったらしかたがないですよね。私は単身赴任するようになりました」

 30代後半で最初に単身赴任したときは、彼自身も家庭を大事にしたい一心で、ほぼ毎週末、自宅に帰っていた。そのころは帰ると、妻も子どもも走って玄関で出迎えてくれたものだった。

「当時はスマホなんてありませんから、やはり顔を見るためには帰るしかなかった。金曜日の夜、新幹線に飛び乗って日曜の最終でまた赴任地へ戻って。平日は仕事やつきあいで忙しかったですね。家に帰れば子どもたちと遊んでやりたいから無理してしまう。そんなことも今では懐かしい」

 40代に入り、長男が中学生になると少しずつ様子が変わっていった。

「中学の入学式はちょうど東京勤務だったので行ってやれたんですが、彼が3年生になった秋、3年の予定で北海道へ配属になりました。これがけっこう過酷で、毎週は帰ってこられなくなりました。あのへんから家族の歯車が少しずつ噛み合わなくなったような気がしますね」

 それでも月に1度は帰る努力をしたのだが、あるとき3ヶ月ほど戻れない時期があった。電話やメールでは連絡をとっていたつもりだったが、3ヶ月後に帰ってみると玄関には誰も出てこない。リビングに入ると、妻と長女が「お帰りなさい」と言ってはくれた。

「長男は受験勉強の真っ最中だったから騒がないようにしていたみたいです。長男の部屋へ行って『ただいま』と顔を出したら、お帰りとは言ってくれたけどリビングには来てくれなかった。どうも模試の結果がよくなくて、志望校に入れるかどうかの瀬戸際でピリピリしていたようです。北海道へ帰るとき、妻から『今度は受験が終わってから来て』と言われてショックでした。『“来て”ってなんだよ、と。オレの家だぞ』と妻に捨て台詞を残して家を出たのを覚えています」

 家族はいつしか3人で完結していたのだ。そこに自分が入る余地はなかった。妻や子どもにそんな意識があったかどうかはわからないが、コウタロウさんはそう強く感じてしまった。

「いつもより少し早めの飛行機に乗ったんですが、そのことも誰も気にしてくれなかった。なんだかね、ひどく虚しかったですね」

 北海道の真っ暗な部屋にまっすぐ戻る気になれなかった。会社と自宅の間にある行きつけの飲み屋に閉店間際に飛び込んだ。

「いらっしゃいとママが迎えてくれたんですが、その笑顔を見たら目の奥が熱くなってきて……。自分で思っている以上に心が弱ってるなと感じました」

 その日は同世代のママとふたりきり。深夜まで飲んでしまったという。

赴任地へ来ない妻

 コウタロウさんはそれまで、単身赴任だからといってひとりで飲み歩いたりはしなかった。単身赴任の孤独や寂しさから深酒し、心身を病んだ先輩たちを見てきたからだ。同僚や後輩と食事をしながら軽く飲んで帰り、音楽を聴いたり趣味の釣り道具をいじったりしているほうが楽しかった。

 ところが家族との溝を感じてから、彼はひとりで飲み歩くようになっていく。見ないようにしていた“孤独”が目の前にどっかり居座ったような感覚だったという。飲まずには部屋に戻れなくなった。

「飲み歩いても、最後には例のママがいる店に行きましたね。あるときママが『だめよ、あんまり深酒しちゃ』と言ってくれて、暖簾を下ろして差しつ差されつして。彼女も寂しかったんでしょうね。つい、なりゆきで関係をもってしまった」

 自宅に戻らない週末は彼女の家で夕飯をとることもあった。そうしているうちに自室に戻る回数が減り、平日でも彼女の家に泊まることが増えていった。

「店で彼女が客の男と仲良くしていたりすると、心の底からムカムカするんですよ。寂しいから彼女に近づいたのかもしれませんが、だんだん彼女に本気になっていったんだと思います。いい女でしたからね」

 3年で終わるはずの単身赴任だったが、彼から申し出て2年延長してもらった。彼は前任者より業績もよかったので、会社は喜んでくれたという。

「あと2年、ここにいることになったと妻に電話したら、『あらそう』って。淡々としていました。一方、彼女は涙を見せて喜んでくれた」

 そうなると、ますますママとは親しくなっていく。親しくなりながらも、ときおり家庭がちらついた。妻は一度も彼の赴任地へ来たことがなかった。

「一度、来てみないかとメールを送ったこともありますが、妻からは『私も仕事があるし』と消極的な返事でした。妻は下の子が小学校に入ってから仕事を始めていたんです。仕事をしながらふたりの子を育てていくのは本当に大変だったと思う。かつて、『あなたは単身赴任だからいいわよ、現実に向き合わなくていいんだから』と言われたことがあるのを思い出しました。あのころ、妻はせっぱ詰まっていたんでしょうね。確かに私は家族から逃げているところがあったのかもしれません」

 4年前、彼はまた東京勤務となった。北海道の彼女とは「別れ」を口にしないまま旅立った。いつか東京に来ればいいよと言ったことはある。それは「好きだよ」という意味だった。彼女は泣き笑いの顔で見送ってくれた。

 2年間を東京で過ごす予定だったが、今度は浪人中の息子の大学受験とぶつかった。娘の高校受験もあった。子どもたちは母親とタッグを組んで淡々とがんばっていた。居心地の悪さは決定的だった。

「家族が私を無視するわけではないんですよ。だけどこちらは、妻とも子どもたちとも“点”でしか付き合ってこなかった。妻と子どもたちの間は太い線でつながっている。ずっと一緒に暮らしているから。阿吽の呼吸で会話が成り立っていますが、正直言うと、私は子どもたちの性格もきちんと把握できていない。妻も他人に見えましたね」

 だから1年たって、九州のある支店長就任を打診されたとき、コウタロウさんは飛びついた。

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