韓国人はなぜ、平気で約束を破るのか 法治が根付かない3つの理由

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式目は日本のコモン・ロー

――皆で決めたことを守らないと困るでしょう。

鈴置:それは日本人の発想です。法律は皆で決めたものとの認識があっての話です。外交評論家、岡崎久彦氏の『陸奥宗光とその時代』(PHP文庫)の217-218ページに鎌倉幕府の定めた法律――式目に関する鋭い指摘があります。

・式目は、唐から輸入された律令が京都以外の地域の実体とかけ離れてしまったために武家の慣習法を基礎として作られたもので、西欧におけるローマ法に対するコモン・ローの関係に似ている。
・裁判は十三人の評定衆で行ったが、成員は神社の神々に誓いをたてて、裁判に際しては厳正な態度をつらぬき、決して私的感情におぼれず、権力者をおそれず、また、一たん決定された判決に対しては、小数意見の者も共同責任を取るという起請文を書いたという。
・日本の裁判が伝統的に公正であり、とくに明治憲法、戦後憲法を通じて、裁判に腐敗がない伝統はここに求めることもできよう。

 日本の法律の源流には武士――武装農民が仲間内のルールを成文化した式目があった。これを守らなければ困るだけではなしに、仲間外れにされてしまう。

 一方、朝鮮半島には封建時代がありませんでしたから、式目に相当する「自分たちが定めた決まり事」がない。中央集権型政権が中国から導入した律令――上が定めた法律の下、韓国人は生きてきたのです。

 韓国の知識人が時に「法を守ったり、判決に服する必要はない」と平然と語るのも、「法は自分たちが定めた」との意識が薄いからでしょう。

 与党の代表で次期大統領の有力候補が、裁判所の下した判決を公然と非難し、それが一切、問題にならないのもそのためです(「ヒトラーの後を追う文在寅 流行の『選挙を経た独裁』の典型に」参照)。

維新前夜に国際法を学んだ日本

――国内でそうだから、外国に対しても決まり事を守らない……。

鈴置:明治維新前夜に日本の知識人が必死で国際法を勉強したのは、西欧に仲間入りさせてもらうには世界ルールの摂取が必須と考えたからです。

 幕府軍の榎本武揚が箱館戦争で死を覚悟した時、フランス人の著した『万国海律全書』を官軍の黒田清隆に託したのも、日本に1冊しかない海洋法に関する専門書が失われれば国益を損ねるとの思いからでした。

「国際的なルールを守らねば世界で生きていけない」との覚悟は普通の日本人にも広がっていました。大津事件(1891年)でそれが顔をのぞかせます。日本人なら誰もが学校で習う、訪日中のロシアの皇太子を滋賀県の巡査が刀で切りつけ負傷させた事件です。

 日露戦争前の日本政府は大国ロシアを恐れていました。犯人を死刑に処したかったのですが、負傷しただけでは死刑にできない。そこで日本の皇族への罪刑を適用しようとしたものの、大審院長――今で言えば最高裁長官、児島惟謙の反対で無期懲役に留まった。

 児島惟謙の主張は「法律を厳密に適用しなければ西欧から軽んじられる」という点にありました。

大津事件日誌』(東洋文庫)には当時、児島惟謙が松方正義総理大臣と山田顕義司法大臣に宛てた「意見書」が収録されています。61ページから引用します。一部の漢字はひらがなに直しています。

児島惟謙のDNA

・顧みれば、我国一たび外交の道を誤りしより、其の害三十年の今日に延及し、不正不当の条約は猶未だ改正し能(あた)わざるに非ずや。且つ各国の我に対する、常に我が法律の完全ならず、我が法官のたのむに足らざるを口実とす。
・然るに、我自ら進んで、正法の依拠足らざるを表示し、たやすく法律を曲ぐるの端を開かば、忽ち国家の威信を失墜し、時運の推移は国勢の衰耗を来たし、締盟列国は、益々軽蔑侮慢の念を増長して、動(やや)もすれば非理不法の要求を為さざるを保せず。

 明治時代の日本人は徳川幕府の結んだ領事裁判権など不平等条約を国の恥と考え、一刻も早く改正したいと願っていた。児島惟謙は法律を曲げれば列強に軽んじられ、不当不正の条約の改正など夢物語だぞ、と訴えたのです。

 日本政治史が専門の楠精一郎氏は『児島惟謙(こじま これかた)』(中公新書)で、以下のように書きました。4ページから引用します。

・当時の藩閥政府の圧倒的な権力の前には司法の権威も微弱なものでしかなかった。そうした状況のなかでの児島の示した毅然たる態度には賞賛が集まり、その後、「死刑を無理強いしようとした政府」と「法を護り司法権の独立を護った児島」という図式はなかば伝説化して、戦前に児島をもって「護法の神」とまで讃える評価を生み出した。

 大津事件を通じ神格化された児島惟謙の存在が、近代日本の法治の確立に大いに資した、との評価です。

 1987年から1992年までの韓国在勤中に驚いたことの1つは、韓国人がしばしば「有銭無罪 無銭有罪」、つまり「裁判だってカネ次第でどうにでもなる」と言っていたことです。

「裁判官は儲かる商売」とも語られていました。裁判官におカネを払えば判決を有利に書き変えてもらえる、というのが常識だったのです。

 その頃はまだ、日本の統治下の朝鮮を生きた人が多数、存命中でした。彼らは苦い顔で、「日本から独立したら、すぐに李朝に戻ってしまいました」と説明してくれたものです。

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