「すい臓がん」を“老化”させる? 新たな治療法を発見、実用化の可能性は

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玉ねぎ、そば、リンゴ

 患者にとって、研究チームの治療法は、ここまででも、希望の光となるものかもしれない。

 ところがそれだけではない。その後の研究によって、この治療法により大きな可能性が広がったのである。

「新しくわかったのは、阻害剤を加えた状態で、すい臓がん細胞を培養すると、DNA障害が起き、細胞の老化が見られるという点です」

 阻害剤を投与すると、がん細胞にSASPなる因子が増加していくことがわかったという。これは細胞が老化した際、それを示す物質を分泌する現象であるが、これのどこが画期的なのか。

「細胞老化とは、すなわち、細胞増殖が停止していることを意味します。そもそもがん細胞とは、自律的に無制限に増殖する細胞のこと。自分勝手に動いてしまうのが特徴です。老化してしまえば、増えることはない」

 これまでの研究の常識では、がん細胞が「老化」するということは考えにくかったという。

「しかし、今回初めてがんの増殖が阻害剤の刺激を受けるとピタッと止まることがわかった。そこが科学的にはすごく興味深かった」

「細胞の老化」という思わぬ結果を得て、石渡部長にひらめいたのは、ならば、この老化細胞を除去できないか、ということだ。

 近年、血管や脂肪、脳などの老化細胞を除去し、寿命を延ばすという研究が、動物実験などで行われているという。

「その老化細胞除去剤としてよく知られているひとつが、ケルセチンという物質です。玉ねぎやそば、リンゴなどに多く含まれていますが、これを投与すると、血管内皮細胞の老化細胞などの除去に有効だ、という研究結果が出ています。そこで、FGFR4を発現しているすい臓がんにも、阻害剤を投与した上で、ケルセチンを投与してみました」

 すると、

「予想に違わず、すい臓がん細胞の生存率も低下させることができたのです」

“健常”であれば難敵であるすい臓がん細胞にストレスを与えて一気に老衰させた上で死滅を試みる、斬新な治療法だ。

 この働きは、阻害剤だけでもケルセチンだけでも駄目で、両者を組み合わせて初めて、生存率低下を導けるそうだ。そこで、FGFR4が発現するすい臓がんについて、まずは阻害剤で「老化誘導」し、続いて、老化細胞死誘導薬で、消滅させる。こうした可能性が探れるのだという。

 更には、この「老化」をベースとする治療には、副次的ではあるが、新たな可能性も出てくるという。

「阻害剤を投与し、がん細胞を老化させることで、免疫細胞が効力を発揮する可能性も出てきたのです。というのも、通常、がん細胞は免疫細胞には敵と認識されず、攻撃されないまま生き延びる。それが脅威なのですが、老化、そしてSASP因子を産出させることによって、免疫システムに、“この細胞は何かおかしい”というシグナルを送ることができるのです。これを『免疫応答』と呼びます」

 こうして免疫システムによるがん細胞攻撃が起きれば、一石二鳥、いや三鳥の治療法と言えるのである。

 がんには大きく分けて三つの治療法がある。

 一つはがんの部位を取り除く手術療法、残りは、がんを攻撃して死滅を試みる、化学療法(抗がん剤治療)と放射線療法だ。

 仮にこの「老化誘導治療」が開発されていけば、「第4の治療法」として、その歴史に新たな一ページが加わるかもしれないが、その現在地はどこなのか。

「今はまだ基礎研究の段階。今後は動物実験、そして臨床試験へと進みたい」

 新しい治療法が承認、つまり実用化されるまでには、まず試験管や顕微鏡での基礎研究を行い、続いて動物実験に進む。効果が出れば、いよいよヒトを対象にした臨床試験へと移る。I~III相の臨床試験を経た上で、ようやく実際に医療現場での提供の可否が審議されることとなるのである。つまり、石渡部長の研究もまだ理論の段階で、実際に動物やヒトに投与して効果が認められるのか、また、深刻な副作用はないのか等々、試してみることが必要。ほんのとば口に立ったばかりで、まだまだ先は長いのだ。

 更に言えば、すい臓がんはマウスとヒトで組織型が全く異なるため、動物実験が難しい。そしてヒトに現れるすい臓がんも、個人差が非常に大きく、極めて研究者泣かせのがんなのだ。

肝臓がん、大腸がんにも

 しかし、それでもこの治療法に期待を抱かせる要素があるのは事実なのである。

「今後が期待されるのは、FGFR4はすい臓がんに特徴的な受容体であるにせよ、他のがんでも見られる物質だからです」

 と石渡部長が言う。

「とりわけ、肝臓がんや大腸がんでも高発現している。これらのがんへの応用も可能かもしれません」

 そして、近年話題のあの治療法にも応用できる可能性がある、という。

「光免疫療法です。これと今回の研究結果を組み合わせて新たな治療ができるかもしれません」

 光免疫療法は、米国国立衛生研究所の小林久隆医師が発案し、三木谷浩史会長率いる、楽天メディカルが開発を進めている。臨床試験が進み、昨年、頭頚部がんについて初めて厚労省が承認、保険適用となった。

 近赤外線という「光」と、IR700という「光感受性物質」とを用い、がんを「ぶっ壊す」のがその仕組み。IR700をがん細胞に結合させ、近赤外線を当てると、IR700が水溶性から不溶性に変わり、細胞膜があちこちで引っ張られて傷がつき、そこに水が入って膨れて破れる――そんな治療法だ。

 これを成功させるには、IR700をがん細胞にきちんと結合させることが重要。そのため、光免疫療法では狙ったがん細胞までIR700を運ぶ乗り物として「抗体」を利用している。がん細胞には、それぞれ発現する物質=抗原があり、そこにそれを中和するための「抗体」がくっつく。その抗体にIR700を付与して体内に入れてあげれば、自然とがん細胞のところに届けてくれるというわけだ。

「すい臓がん患者の半数に見られる受容体を発見できたことで、FGFR4に対応する抗体と光感受性物質を体内に注射すれば、すい臓がん患者にも同様の手法が効く可能性があります」

 FGFR4を目標とし、その抗体を利用することによって、光免疫療法の枠組みが利用できる、というわけである。

 光免疫療法の最大の特長は、がん細胞だけをピンポイントで狙い撃ちすることによって、正常細胞にその作用が及ばない点。これによって治療の副作用が大幅に緩和される。FGFR4も正常細胞では見られず、同じ効果が期待できるかもしれないというから、夢は膨らむのだ。

 現在、日本で最も死者が多いがんは肺がんで、すい臓がんは第4位。近年、患者数はどんどん増えてきているから、今後順位を上げていくのは確実。だからこそ新しい治療法が待たれる。

「極めて難治性のがんですが、研究者は新たな視点からの研究を進めており、期待が持てる研究成果が上がってきている。私も研究を進め、すい臓がんの治療向上に寄与していきたい」

 数年後、実用化への道は進んでいるのか。先はまだ長いとはいえ、注視すべき試みであるのは間違いない。

週刊新潮 2021年1月21日号掲載

特集「5年生存率10%『すい臓がん』を『老衰死』させる画期的治療法」より

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